集落という生き物 其の一

 「たいした話ではないのですが・・・」と言っても、そもそも『言わせてもらえば』では、それほどたいした話はしていないので、今回も同じようなものではありますが、いつもとちょっと違うのは、たいしたことのない話をこれから三週に渡って連載させてもらう点です。

 たいしたことのない話が次週へ続くのですから、「絶対、飽きるな」、「前回は確実に覚えてられないな」と思われるかもしれませんが、そう言わないでください。私が、『集落』というコミュニティの面白さを意識した最初の話なので、是非、聞いていただければありがたいです。『言わせてもらえば』では、これまでも、農村づくりを進めるに当たって重要なことに繋がる何かをお届けしてきたつもりですので、今回もそういうものに繋がる何かだと思って飽きずに読んでみてください。

 さて、私は大学までは、兵庫県尼崎市、西宮市、大阪府豊中市と、大都市近郊の商業地や新興住宅街に住んでいました。どの街でも、それぞれに友人や同級生は隣近所に住んでいて、誰がどこに住んでいるのかってことはある程度把握していましたが、地域という社会組織がどんな働きをしているのかは知らず、地域とか集落に住んでいるという感覚はありませんでした。少し意識するのは祭りの時の町内会の文字が入った奉納提灯ぐらいでした。

 しかも、中学の時なんか、一学年十数クラスもあり、何処から何処までが私の所属する地域なのかなんてことも意識できませんでした。同じ町内でも知らない人どころか知らない同級生もたくさんいました。町内に相互扶助や地縁というものを感じたことがなかったのです。

 どの街でも、父の経営するカメラ屋の店舗がありましたので、地域の祭りなんかには積極的に参加し、様々なイベントでお店としての協賛もしていましたが、私が親から、地区なり集落の自治について教えてもらったことは一度もありません。親は、商売上、近所付き合いでいろいろと苦労したこともあったのかも知れませんが、それを子供である自分が実感することは先ずなかったと言えるでしょう。また、農林水産省に就職して、茨城県のつくば市にやって来ますが、ここでも、公務員団地に住んでいたため、自治会はありましたが、会員はすべて公務員でしたし、行政機関からの回覧を回すことや、共有スペースの掃除を年に数回みんなで普請する程度で、付き合いはあっさりしていました。

 そんな地域への無関心な暮らしを経て、就職三年目の昭和59年、今から37年前になりますが、転勤で、佐賀県のとある田舎町に家族で住むことになりました。公務員宿舎も選択できたのですが、妻の要望もあり、せっかくだから少し田園暮らしをしてみたいということで、佐賀市内から少し離れた田舎町にアパートを借りて住んでみたのです。でも、単に、田んぼや畑の近くに住む憧れみたいなもので、その時はまだ、集落というものの存在に気付いていませんでした。しかし、ここで起こったある事件を通して、初めて私は、集落という社会組織、いわゆる、ムラ社会に属していることを実感することになりました。事件そのものは、集落での近所づきあいに関係するものですが、後々、このことが、私の農村づくり支援研究の土台ともなりました。

 初めての土のにおいを感じる静かな暮らしでした。転勤3か月が経ったある夜、八時を過ぎた辺りでしたか、まだ乳飲み子であった息子を寝かせて、妻とテレビを見ていたところ、突然、玄関のチャイムが鳴りました。こんな時間に人が訪ねてくるのは初めてであり、何事かと恐る恐る玄関に出ました。

「こんばんは。会長の原だが、ちょっとよかか」

 ゆっくりとドアを開けると、四月の引っ越しの時に最初に挨拶に行った三軒向こうの農家のおじさんで、ここのアパートの家主でもある自治会長の原さんとその後ろに集落の役員さんと思しき二人が、怖い顔をして立っていました。

「こんばんは。お世話になっています。どうしたんですか」

 妻も、私の後ろに立って、何事かと窺っていると、会長さんはドラマで見る刑事ものの事情聴取みたいな険しい口調で捲し立てました。

「守ってくれんばいかん。最初に挨拶に来んしゃった時に、カラスん多かけん、ゴミは時間通りと言うたが、一つも守ってくれんね」

 挨拶に伺った時は、佐賀弁がなかなか聞き取れなかったが、少し慣れておおよそのことは分かったので、妻が後ろから反論しました。

「ウチは守って出してますよ」

「だいかは分からんが、全部に言いまわっとよ」

 佐賀弁は少し喧嘩腰のように聞こえるところがあるので、こちらも少しきつい物言いになってきて、彼女も茨城弁がうなる。少しヤンキーも入っている。

「ウチはぜってい違うべ~」

 会長さんもそれ以上責めては来ず、隣に行くと言って、その日はそのまま帰りました。ウチがやったと非難しているのではないのですが、物言いが怒られているように感じて、その後も気になってしかたありません。

「誰やろう」

「二階に夫婦もんじゃない人、ひとりいたっぺよ。あの人じゃなか」

 なにも私の前で九州弁を使わなくても良いのですが、女性の方が地域文化に溶け込むスピードが速いらしい。それにしても、茨城弁と九州弁の無理な合体は聴きづらい。

 三週間ほどして、また会長さんがやってきました。内容は同じで、今日の朝カラスがゴミ集積所を荒らしたと言うのだ。今では多くの地域でゴミ集積所には防鳥ネットがかけられているので、被害は相当減っていると思いますが、その頃、まだこの地区では防鳥ネットを用意していませんでした。ルールとしては、朝、町のゴミ収集車が来る時間の少し前に一斉に出して持って行って貰うことになっていました。会長さんが言うには、前の晩から出しているルール違反者がいるそうで、地元住民がルール通りに出しに行く時にはすでにカラスに荒らされていることがあると言うのです。散乱したゴミが国道の方まで出て、車がそのゴミを引き散らかして始末に負えないそうです。

 会長さんは明らかに先日来た時よりも厳しい口調でした。

「今までこういうことなかよ。ここのアパートできてから、こういうことが起こっとっと」

 我が家は問題なくルールを守っていることを告げたが、会長さんは自分が家主のアパートができてからだと周りから言われたようで、そうとう困っている。特に、私ら家族が住人の新入りで、若く、しかも、私たちが来てからごみ問題が発生しているということで、嫌疑をかけられたようだ。

 前回の訪問後、役員さんたちが交代で夜回りをしてみたそうだが、朝になるとゴミが捨てられ、回収車の来る九時ぐらいにはもうカラスが散らかしているらしいのだ。佐賀にはカラスではなくお腹の白いカチガラス(カササギ)もいるが、会長さんはなぜかカラスの被害だと強調した。時には回収日ではない日もやられていることもあったそうだ。

 妻は正義感の強い性格で、しかも白黒はっきりしないあやふやなことが大嫌いで、疑われていることをかなり憤慨していた。「こういうことは役員の人に任せておこう」と、私は宥めたが、彼女は自分たちの潔白を証明したいと言い出した。私は乗り気ではなかったが、次の日から朝早めに行って見張ってみようということになった。

 人は誰も一人では生きていない。人が土地に暮らしたら、その人の生活というものは、好き嫌い関係なく、集落という地域社会の中にあるのだということは、概念的にはよく理解しているはずだったが、関係性というものは育つものであるということを知らなかった。鬱陶しい問題が降りかかってきたなぁという感じではありましたが、関係性という縁が膨らんでいく気配を感じ始めていました。

(次回へ続く)

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