高崎駅前のクラブ

 かなりどうでもいい話かもしれないのですが、黙っていることができない話を致します。

 以前より、いつかどこかで話そうとは思っていたのですが、夜の社交場での話なので、公開を躊躇っていました。先ずは、たいしたことのない話であることと、いつもより『俺の話は長い』ということで覚悟願います。そんな話は聞きたくないという方は、読み飛ばしていただき、次の稿にご期待ください。何しろ、私の中高年時代のナイトクラブでの話ですので。只、農村づくりに関わる話ではあります。

 高崎駅前の雑居ビルの二階に、確か『サクラサクラ』というナイトクラブがありました。先日、調べてみたらもう今は無いようです。美人のママさんと数人のホステスさんがいて、しっとりと飲めるところなのに、カラオケもあったので、クラブというよりはおしゃれなスナックに近い、そんなお店でした。

 十数年も前のこととなりますが、当時、私は、群馬県の長野堰用水の景観調査をしていました。長野堰用水は、一級河川である鳥川にかかる長野堰頭首工から取水した農業用水を、台地となっていたため水の恩恵を受けにくい地形で、不毛に近い土地とされていた高崎の水田地帯に潤す農業水利施設です。平成28年に、日本を代表する歴史的価値のある農業水利施設として世界かんがい施設遺産に登録されましたが、当時はまだ登録されていませんでした。

 水が白く薄く波立って、何段にも落ちて流れる滑らかな曲線美を持つ固定堰『長野堰頭首工』から取水された水は、高崎市を西から東に突っ切り、三面コンクリート化された幹線水路が高崎駅近くにまで数キロに渡って走り、高崎市街地を流下し、江木町の円筒分水工まで続きます。

 私の仕事は、円筒分水工を含む農業用水路の認知調査でしたので、高崎駅前や群馬県内のいくつかの地点で、路上アンケートをしていました。アンケートの内容は、いろいろありましたが、基本は、これらの水利施設のことをどれほど地域住民が知っているかというものです。今でこそ、世界かんがい施設遺産に登録されましたので、かなり認知度は上がっていると思いますが、私の記憶ではその当時の認知度はかなり低かったように思います。

 長野堰用水は水路沿いにサイクリング道路や遊歩道が整備されており、ところどころには桜並木やポケットパークもあり、水路周辺の住民が花壇を作ったりして、とても美しいものでした。三面コンクリートというと、すぐに良くない景観みたいに言われますが、農業の水だけでなく高崎城跡公園のお堀の水も運び、防火用水などの生活用水も兼ねた多目的水利用で、ゴミ類もとても少なくて、地元に大切に管理され、憩いの場としても人気がありました。実は、私は、この水路の大ファンの一人で、調査以外でも、全路線を何度も歩かせてもらいました。

 只、水路周辺の住民にはしっかりと認知されているのですが、少し離れると誰も知らないという状態でした。全国どこでもそうで、有名な桜の名所になっているとか、県域規模の公園になっているとかでもない限り、水利施設の認知度なんてそれほど高くないものですが、大ファンの私としては、もっと認知度が高くて良いはずなのにと、アンケートの結果が悔しくて仕方ありませんでした。

 他に一緒に調査をしていた何人かと一緒に、ふらっと入ったクラブ『サクラサクラ』で、客が少なかったこともあって、席についてくれたホステスさんもほったらかして、「農業用水路はこれほどまでに地域の大切な資源になっているのに、どうしてこんなに人気がないんだ」と、議論を交わしていました。

 かなり酔い、盛り上がってきたところに、その美人のママさんが席に来て、「どうして、皆さんそんなに興奮しているんですか。うちの女の子が美人だからですか」と、優しく声をかけてくれました。ふと我に返った私は、先ほどからの農業用水の話を彼女にしてみたところ、生まれも育ちも高崎市内で、今も高崎市内に住んでいる、おそらくは三十代後半のママさんも、長野堰用水を知らなかったし、興味もあまり持ってくれませんでした。でも、私が円筒分水工の話を始めたところ、不思議なことに急に聞き入り始めました。営業トークかなとも思いましたが、どうもそうでもなさそうです。

 それまで、おじさん三人がつまらない話をしていると思って、水割りを作っていただけの二人の若いお嬢さん方も、「何、何、それ」って感じになってきました。話は、用水路の説明から入らずに、一滴でも大切な水を公平に分けるためにはどうしたらよいのかから始まり、水争いの歴史を延々と話し、どうして円筒分水工なるものになっていったのかに繋げました。

 とても関心を持って聞いてくれた美人のママさんは、自分の住んでいる近くにそんな素晴らしいものがあるなんて知らなかったことにショックを受けていました。

「えっ、小学校の社会の教材に載っていたのに、覚えてないってこと。社会の先生が悪いんじゃないの」と、ママの言。

 私を含む調査員一行は、気をよくして、次の日の夜もその店に行ったところ、さっそくママさんが近寄ってきて、「先生、行ってきました、今日のお昼。すごいすごい、あれが円筒・・なんとかなんですね」と興奮して、見に行った時のことを話してくれました。

「昨日お話いただいたことが、すーぅっと腑に落ちました」

 長野堰用水だけではなく、日本中の農業水利施設には、大なり小なり文化的価値のある話があって、どれもこれもそれなりのかんがい施設遺産ではないのかと思います。水を届けるということは大変難しいことで、何らかの苦労が伴っているはずです。遺産に登録されることも大切ですが、重要なのは、地域がその価値を共有し、その意味をどう伝えるかなのだと思います。遺産に登録されれば、有名になって認知度が上がるので、それを契機にして、地域の活性化の題材につなげることもできるのかもしれません。でも、登録されただけではいけないし、「すごいだろう」と誇るだけでもいけない。だって、情報としては地味ですから。

 その施設が持つ役割と意義、そこに至る経緯、それが現代社会に対して何か警告を鳴らしいてないだろうか、大切なことを教えてくれているのではないだろうか。昔の人の工夫の中に、新しい地域の生きる道の何かが隠されてはいないだろうか。そう考えていくと、興味は倍増して、自分事になってくるようです。スナックの美人ママさんやホステスさんたちは、水利施設からは相当遠い存在なのかもしれませんが、見に行ってみようと思わせ、実際に見てすごいと思わせたほどの魅力が、円筒分水工の真ん中から湧き上がる水が四方に分かれ、最後は細い水路にまでつながっていくその姿にあったのでしょう。

 そこに文化があることではなく、どう感じるかを演出することが大切なことではないでしょうか。とりあえず、長野堰用水大ファンの一人として、数人のファンを増やせたように思います。

※文頭の写真は高崎の円筒分水工、農村景観ビデオ集のコーナーにも映像公開しています。https://nousonouen.com/2019/09/08/keikanvideo/(長野堰用水)

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