複合災害

 8月8日、オリンピックが閉幕しました。コロナ禍での開催ということで、開催前からも多くの問題を抱え、開催そのものも賛否両論ありました。世論調査では7割の開催反対の声があったものの、得体のしれないIOCの圧力や耳なし政府のゴリ押しもあってか、結局開催となりました。更にこれで、開催中のテロでもあったらどうなることかと、冷や冷やしながらテレビを見ておりました。それでも、一生懸命に人生をかけて競技に打ち込む選手にはなんの罪もなく、そんな選手の奮闘に、毎日のようにメダル獲得や日本チーム敗北のニュースが流れると、日頃眠っているナショナリズムが起き出して、一喜一憂させてもらいました。

 コロナに感染されて、入院や自宅療養されて、苦しんでいらっしゃる方からすると、スポーツ観戦どころじゃなかったと思いますが、大方の国民は、これから支払われる数十億の税金のことや感染拡大への影響は気になっているのでしょうが、それよりも、とりあえずなんとか切り抜けたと安堵しているのではないでしょうか。入院、療養中の方におかれましては、ご自愛いただき、早く良くなられることをお祈りします。

 そしてようやく、ひと段落したかと思ったら、今度は、閉会式に襲い掛かるように9号、10号のW台風の到来となりました。特に、青森の下北地方では、台風9号から変わった温帯低気圧の影響で、9日から10日にかけ県内各地で大雨に見舞われ、むつ市と風間浦村では土砂崩れにより700人以上の住民が孤立、むつ市では橋の崩落もあり、七戸町では河川の洪水により、避難情報の中で最も危険度が高い「緊急安全確保」(レベル5)が出されたということです。被災された下北地方の皆様におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。

 ここ数年の自然災害は、単なる多発というのではなく、複合災害になっていることが多いように感じます。複数の現象がほぼ同時または時間を置いて発生することによって起こる災害や、海面上昇・台風・集中豪雨といった気候の変動に、地震・津波・地盤沈下などの自然現象が重なって起こるような災害、また、火事や原発事故のように、先行災害に連動して発生する災害を総称して『複合災害』と呼びます。本来、火事や原発事故は不可抗力な事案ではないので、脈略を断ち切ることもできるはずですが、最近の傾向は、このような脈絡のない複合災害もたくさん発生しています。(※もっと研究が進めば、地震、台風、コロナは、本当は脈絡があるのかもしれない。)

 特に、2004年の新潟県中越地震では、台風23号による豪雨で地盤が緩んだところ、その3日後に地震が発生し、土砂災害の被害が拡大しました。また、昨年の7月の九州地方・中部地方の集中豪雨、今年の9、10号台風は、コロナ禍という災害の中で洪水という複合災害が発生したことになります。

 複合災害の対策については、単独災害の対策マニュアルでは対処できないことも多くあり、複合のパターン毎に、対策マニュアルも複合化していく必要があります。災害発生した時に、地震時の対策マニュアルと津波の対策マニュアルと火事の対策マニュアルを持ち寄って、集合問題を解いているようでは遅いですし、事案によっては、対策に相反する事項も発生するかもしれません。

 すでに、コロナ禍での避難対策として、3密を避ける仕切り方法や換気対策、衛生用具の準備などが考慮されていますが、その分、これまでの避難場所では十分に避難者を収容することができず、苦慮しているということです。本当に避難場所が無い場合は、いったいどうすれば良いのか。避難場所の受け入れ人数の限界をコロナ対策側に重きを置くのか、一次避難側に重きを置くのかを判断しなければならないことになります。誰がその決定をするのでしょうか。更に、物質的な問題だけではなく、精神的なケアもしなければ、タイムラグをおいて三次、四次被害にも繋がってしまいます。

 しかも、その対応をすべて行政がやってくれるのでしょうか。それは無理だと言わざるを得ません。『自助』だ『公助』だと国民と行政が押し合いをしている場合ではありません。もちろん、行政の手厚い『公助』があるよう望むところですし、各国民がしっかりと『自助』をすることが大切ですが、私は、もっと力を入れるべきは、血縁・地縁による『互助』と『共助』の充実ではないかと考えます。それを構築するための、政府の社会再構築の政策は弱すぎます。『互助』『共助』は、人の良心によって自然に成立するものだと思われているみたいで、ほとんど施策は取られていないと言いたい。

 私の提唱する『農村づくり』は、経済振興を含む『地域づくり』とは概念が異なります。『農村振興』に包括される部分もありますが、どちらかと言うと、それらの基盤になる親子、家族、隣人、地域、関係者の人と環境の関係づくりです。すなわち、農村社会の再構築であります。これが崩れていると、振興には到底届きませんし、災害にも脆弱となります。災害において、行政力が弱すぎて、または災害が大規模複合的過ぎて、『公助』が期待できない場合、力を発揮するのは、結局は『互助』と『共助』の人の関係になるのです。

 災害が発生してから、ああ、やっぱり地域の結束力が重要だったと気づくのではなく、何も起こっていない今の内に是非、『農村づくり』に取り組みましょう。 気象庁は「線状降水帯の発生により、今週末から来週前半にかけては、日本全国いつどこでも、大災害が発生してもおかしくない」なんて言う、とんでもない予報を出しています。この原稿を書くうちにも、熊本を中心とする九州地域ではレベル5の避難情報が発令されています。複雑かつ多発する災害のニュースを見る度に、もし明日、コロナ感染拡大の中で、豪雨と地震と津波に、おまけに雷、火事、親父、ついでに妻まで来たらどうしようと、心配しているところです。

※済みませんが、投稿一回休みます。次回は8月30日の予定です。

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