農村文化を「活かす」から「活きる」へ

 社会情勢が急激に変化したり、大きな社会問題が発生すると、いつも、文化に関わる施策が後回しになるようだ 。

 コロナ禍によって、日本の芸術・文化活動の存続に大きな影が落とされ、様々な活動に携わる人々の生計を脅かしている。音楽イベントや演劇もそうだが、農村の祭りや文化イベントもかなり制限されてきた。昨年祭りが執り行えなかった地域は実に多い。これは、日本だけではなく、世界全体の話でもあり、どの国も、芸術・文化は産業のメインの枠から外され、二の次の施策になっている。

 日本の大災害後の復興計画においてもしかり。再び災害に見舞われたときの被害を最小限に食い止めることに議論が集中し、生命リスク回避を第一義とした計画が立案され、「生活」「生産」「社会」「環境」「文化」と言った順で計画は練られ、総合的体系的と言いながら、「文化」は最後の付け足しみたいになってしまっている。

 また、復興が進む中で、文化を除け者にしたがための潤いの無さにふと気づくのだろうか、最後の方になって、文化が大切だと急に強調され、取ってつけたように文化保全に関わる箱モノや象徴のように記念碑などが建てられてしまっている。東北地方の復興においても、これでいいのかと思うものも多いように思う。

 当然、「生命」や「生活」は重要だが、人は「パンのみで生きるにあらず」で、神の御言葉もさることながら、「文化」に代表される精神的豊かさが、「生命」や「生活」を成り立たせるための絶対必要条件となっていることは確かだ。

 新型コロナの緊急支援対策において、ドイツのメルケル首相は他国に類を見ない手厚さで芸術・文化の支援を行った。彼女は今年の5月9日にも、芸術・文化関係者と市民に向けて演説し、芸術や文化がドイツにとって重要であることを宣言し、今後も芸術・文化関係者に対して支援を行うと明言した。もちろん、ドイツでは芸術・文化が一大産業であることが大きく影響しているが、実はそれだけが支援の手厚さに反映している訳ではなく、芸術・文化を大切にし、国民の誇りとすることによって、国家の正しい道を歩めるということを、暗い戦争の歴史からも学んでいるからだろう。

 そう考えていくと、結論を先に仄めかすようだが、なぜ、農村文化の伝承が、農村振興の根幹になくてはならないのかは、自ずと見えてくるのではないだろうか。

 「文化資源を活用した地域振興」という施策をよく耳にする。インターネット検索をすると、農産物や地域特産が主流ではあるが、「自然や歴史を活かした」、「文化・文化遺産を活かした」とか、「食文化を活かした」、「アートを活かした」と、様々な文化資源を活かした事例が検索される。その多くは、「地域独自の文化財や文化事象をうまく利用して産物を販売したり、人を呼んで観光サービスをして、経済的な振興を図ろう」ということのようだ。観光産業や6次産業化を否定するものではないし、観光立国推進基本法でも、「文化、産業等に関する観光資源の保護、育成及び開発に必要な施策を講じる」とある。観光が栄えることで、文化が保全されていることも十分理解できる。

 しかし、文化資源を経済財として見て、切り売りをするだけに終始し、文化の伝承や共有化が地域住民や国民の心の問題として取り上げられないなら、それは本末転倒である。観光客や海外の方が良く知っていて、「この辺りに重要文化財に指定された建物があるらしいのですが?」と地元の人に聞くと、「聞いたことが無い」と言うが、隣の建物がそうだったなんてことになりかねない。また、価値を高めるようにインフラを整備して、ソフトを整えてと、活性化のお膳立てに力を入れ過ぎて、もともとの地域文化の本質はどこなのかが分からなくなった例も多い。

 農村文化は、生業の姿そのものである。資源が無いとかあるとかということ自体がナンセンスで、地域の姿そのものが文化である訳なので、文化施策で本来やるべきことは一つ。文化を活かして人を呼ぶことではなく、その姿そのものに誇りを持ち、そのままの姿が文化に活きてしまうような暮らしをすることである。また、それに接する人は、感性を磨き、エンターテインメントとして楽しむことである。農村文化を活かすのではなく、文化が活きる農村づくりこそが、最終的に農村文化の保全に繋がるのである。

 農村文化を百科事典などで調べると、「農村社会に特有な行動様式,生活様式の総称。行動様式,生活様式を土台にして生み出されてきた伝統芸能や文学や芸術」と書かれている。ようするに、人が農村で農業をして、生活を営むことによって生じた精神的な作用や物理的な事象が定着して、慣習や習慣となったもので、その一部が昇華して財化したり、芸術となる。この定義からすると、有形はモノで、無形はコトというようなことではなく、受け止める側の心の問題として文化を捉える必要がある。

 農林水産省の文化保全施策を紐解くと、先ずは、農業農村基本法において位置付けられた農業・農村が有する多面的機能の中の文化の伝承機能の維持発揮がある。多面的機能には他に、国土保全機能、自然環境の保全機能、良好な景観の形成機能などが挙げられているが、ここに挙げられているものはすべて、経済価値としての捉え方が中心となっているようで、そこが気になる。

 良好な景観の形成や文化の伝承などのソフト系の機能については、他との横並びで評価されてはならない。機能の存在を確認し、金目に置き換えて価値を測るのではなく、機能が農村地域住民にどう理解され、外部者にどう受け止められているかが重要なのである。簡単に、価値があるから守ろうとか、人を呼べるから活用しようであってはならない。

 もちろん、農林水産省も産業だけに結び付けた文化施策を進めている訳ではない。「文化財保護法」に基づいた施策として、重要有形民俗文化財や重要無形民俗文化財を指定し、修理・防災や伝承事業等に対する補助もしていると言われるだろうが、まだ、モノなりコトなりの捉え方であって、それが地域住民にとっていかなる意味を持つのかを定着させる取組までには至っていない。

 世界農業遺産は11地域が認定され、日本農業遺産は15地域を認定し、景観、生態系、文化と絡まる独自性のある伝統的な農林水産業の保全に努めている。さらに、歴史的・社会的・技術的価値を有し、かんがい農業の画期的な発展や食料増産に貢献してきた世界かんがい施設遺産は、世界15か国91施設のうち、日本が39施設を占めていると自慢したいのだろう。しかし、その精神的価値の国民的浸透度は低いと言わざるを得ない。数よりも、人の心への浸透度を評価してみてはどうか。

 政府は、今年2月5日に、文化財保護法の一部を改訂する法案を閣議決定しました。これは、食文化や祭りなどが地域文化として再評価されていることやユネスコ無形文化遺産保護条約の発効に後押しされたもので、この改定では、無形文化財や無形の民俗文化財等、幅広い生活文化を対象としてその継承と振興に向けた登録制度を設けることとなった。ようやく、文化に対する認識が世界の価値観に追い付き始めたということかもしれない。しかし、決して専門家や行政の世界で完結してもらいたくない。

 農林水産業の経済活性にコミットできる農村文化資源の活用と言いたいのであれば、しっかりと文化の根底を支えないと薄っぺらな文化保全となってしまう。国民へ、地域住民へ、農村文化保全の重要性を訴え、情報を浸透させ、住民参加やエンパワーメントを強化するとともに、エンターテイメントとして楽しむ策も出してもらいたい。平成29(2017)年の文化芸術基本法の改正以降、「食文化」も明文化され、文化庁との連携も好調だ。地域固有の多様な食文化を地域で保護・継承していくための体制を整え、各地域が選定した郷土料理の調査・データベース化及び普及等を行い、子供たちを対象とした和食普及のための取組を通じて和食文化の次世代への継承を図っている。食文化の施策推進を手本にして、生活文化を活かすのではなく、生活そのものを文化に仕立てる農村づくりをしていこうではないか。

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