暮らしの知を地域活性化につなげる(1)

1.地域資源を活かすのか、地域資源が活きるのか

 地域活性化の施策推進においては、「農業生産はもとより、環境、景観、文化資源等を活かすことが重要である」とよく言われます。これは、都市住民や国民が、安全・安心な農業生産物の安定供給を求めるとともに、農村が有する多面的機能を発揮する様々な地域資源の利活用に期待をしており、都市と農村の共生・対流促進の観点から、地域資源が経済的なフローを誘引する可能性を有していること、また、地域住民自らが地域資源を自分たちの宝として誇りを持って守り、定住意識を生み、農村の存続に繋がることから、農村の振興に資すると言う意味でこういう言いまわしをするようです。

 良好な景観、多様な生物の生息環境、伝承されてきた地域文化は、国民かつ地域の共有資産であり、これらの地域資源を守り、持続的に利用する主体は地域住民であることから、地域資源の保全と利用に資する施策は今後ますます進展するでしょう。さらに、都市生活ストレスの緩衝効果としての保健休養機能や生命倫理観や環境保全意識の醸成等の教育的機能も相まって、農村には、都市訪問者を引きつけるような地域環境が生まれ、かつて欧州で展開し、成功したルーラルツーリズムのように、日本においても、この方法で部分的に地域経済の再生は可能となるでしょう。

 平成22年3月に閣議決定された「新たな食料・農業・農村基本計画」においては、農村の振興施策として、農村が有する多面的機能を将来に渡って十分に発揮していくため、国と地方の適切な役割分担の下、農業・農村の6次産業化により農村経済の活性化を進めつつ、これらの地域が抱える不利な農業生産条件を補正し、生活条件の整備を含めた集落機能の維持と生態系や景観を含む農村環境の保全等を支援していくことが必要であるとしています。特に、中山間地域等の農村振興において、グリーンツーリズム、都市農村の交流促進は重要な課題であり、交流ターゲットの拡大、交流人口の促進、第6次産業との連携において、農村の景観資源や生物資源等、教育・保健休養に関わる機能の質の向上は重要な要件となっています。

 また、平成27年3月31日には、22年計画の見直しにより、4回目の基本計画が閣議決定されました。本計画はこれまでの施策を踏襲してはいるものの、新たな方向性として「農林水産業・地域の活力創造プラン」(平成25年12月農林水産業・地域の活力創造本部決定、平成26年6月改訂)等で示された施策の方向やこれまでの施策の評価を踏まえた攻めの農林水産業への方向性を明確にし、農業の構造改革、国内外の新たな需要の取り込み等を通じて農業や食品産業の成長産業化を進める産業政策と、構造改革を後押ししつつ、農業・農村の多面的機能の発揮を進める地域政策を車の両輪として位置付けています。さらに、新たな基本計画の下で、実現可能性を重視して食料自給率目標を設定し、その実現に向けた課題の克服に着実に取り組んでいくことや、新たに我が国の食料の潜在生産能力を評価した食料自給力指標を示し、我が国の食料自給力の現状や過去からの動向についての認識を共有することにより、食料安全保障に関する国民的な議論を深める姿勢も示されました。また、令和2年計画では、産業政策と地域政策の両輪の枠組みを継承しつつ、さらに、関係人口や半農半X等の新たな動きや活力を取り込む多様な力点が加わっています。

 政策の動きは追っていくと切りが無いので、この辺りで止めておきますが、どの時点の計画においても、多様な地域資源の活用や環境、教育、福祉と連携した都市農村交流は重要なキーになっていることに変わりはありません。確かに、環境や文化を経済活性に資する地域資源として捉えて、地域再生を図ることは可能です。だから、資源として価値のある形に変換して、質や量を保全し、活用することが求められます。しかし、これだけで本当に地域再生につながるのかと言うと、それには問題があると私は考えます。

 ここで忘れられていることは、環境や文化資源が経済財としての資源ではなく、地域アイデンティティの醸成に資する財であると言うことです。社会的共通資本としての価値を位置付けるためにも、それが心の中にある財でなければならない。すなわち、地域住民の「ふるさと」に対する心の形成の資源とならなければならないと言うことです。

 「集落機能の維持」と言う表現は、本来その一端として読み取れられるべきですが、これも、生活と経済の活性化を前提としたコミュニティの機能維持のように受け取られ、地域アイデンティティの醸成そのものの価値を位置づけてはいません。心が潤ったかどうかを定量化するのは困難なので、人に説明しやすい経済財に置き換えているに過ぎません。

 ふるさと納税と言う制度がありますが、地域のアイデンティティを持たない人が、その地域に納税すると言うこと自体がよく理解できません。単なる経済活動になってしまっているのだろうし、また、そうでもしなければ財政の健全化が図れない市町村側のつらさもあるのだろうと思いますが、何か違うと感じます。もちろん、これを契機に外部者が特定の地域のアイデンティティを醸成されることはあるのでしょうし、被災支援にも使えますし、経済活動としての仕組みは面白いと思います。

 しかし、本当にあるべき姿は、地域資源を保全し、活かすのではなく、地域資源そのものの価値を再認識することによって、アイデンティティを再構築し、心のよりどころをしっかりと確保し、地域再生につなげていくことが真に重要なことなのではないだろうか。これは、経済活性に対して、社会や人の心の活性と言うことになるだろう。

 よって、アイデンティティの醸成の観点からすれば、今後は、「地域資源として活かす」と言う、興す発想から脱皮して、日々の生活の中で「地域資源が心に活きる」技術を生んでいくことが重要となるのであろう。これはどう言うことかと言うと、地域資源を消費し、利用する技術だけではなく、地域資源を理解し、感情移入できる技術を作っていくと言うことになる。 地域資源保全では、持続的な環境を維持することだけが目的ではなく、アイデンティティの形成に資する地域生活スタイルを築くことにも目的があるのではないでしょうか。それが、本当の意味での地域資源保全であり、それはそのまま地域の活性化につながるのではないでしょうか。

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