昭和演歌

 骨折して車の運転ができないものだから、家で音楽を聴く時間が多くなりました。テレビはじっとして見ないといけませんが、音楽なら、部屋で聴きながら軽い運動もできますので、音楽の聴き放題サービス(サブスク)を使って、好きな曲を聴いています。

 最初は、得意の古い洋楽ロックや最近の流行曲を聴いていましたが、サブスクで曲を探すと、歌謡曲や演歌もたくさんあるので、次第に昭和演歌を聴く頻度が多くなりました。両親が好きだったので、子供の頃から隣で聞いている内に結構たくさんの演歌を知ることとなりました。上手い下手関係なく、自分が何曲ぐらいカラオケで歌えるだろうかとダウンロードしていたら、演歌だけで150曲ほどありました。

 昨日は、かなり若い時に、北海道の仕事で網走開発局の方に教えてもらった曲で、秋庭豊&アローナイツの「流氷」という曲を見つけて、なんだが涙が出てきました。初めて聴いた時にとても好きになって、夜、スナックで開発局の方に横についてもらいながら教えてもらったのを思い出しました。

 それにしても、昭和演歌を聴いていると、なんと男性目線の歌詞が多いことか。しかも、踏み込んで言うと、その多くが男性に都合の良い歌詞になってしまっている。一つ一つ紐解くと、女性差別どころか、女卑、蔑視とも言えるようなものもあり、今では、こんな歌詞がとても社会には受け入れられないと思います。

 私は都はるみが大好きなのですが、その中に、だみ声の岡千秋とデュエットした『浪花恋しぐれ』なんて歌があるが、これも、聴きようによってはまずい。平成の女性からすると、間違いなく、「バカじゃないの」と言われるだろう。私の大好きな歌手、都はるみの『浪花恋しぐれ』を題材にするのは忍びないが、これを題材にそのまずい表現についてお話します。

 この歌は、桂春団治が東西屈指の落語家(上方だけという方もいますが、私は日本一と言って良いと思っています:大阪びいきで済みません)に上り詰める生き様とそれを支えた妻お浜が、この破天荒な亭主のためにとことん尽くす愛を描く夫婦人生の歌なのだけれど、歌詞や間奏セリフで選択された言葉がひどすぎる。人によるものだ。春団治だから良いのだとも言い切れない。

♪そりゃあ、わいはアホや、酒もあおるし、女も泣かす せやかて、それもこれも みんな芸のためや 今に見てみい!! わいは日本一になったるんや♪(作詞 たかたかし 作曲 岡千秋)
♪なんやそのしんき臭い顔は 酒や!酒や!酒買うて来い!!♪(作詞 たかたかし 作曲 岡千秋)

って、我が妻は昭和の女性ですが、「日本一になってから言え!」って言われそうです。しかし、これに応える妻の方も、男目線の理想の妻の台詞になっているのだ。

♪あんた遊びなはれ、酒も飲みなはれ、うちはどんな苦労にも耐えて見せます♪(作詞 たかたかし 作曲 岡千秋)

 昭和歌謡としての面白さは、男と女の上下関係、ジェンダーを超越した夫婦の浪花節人生で、戦後復興や高度経済成長と呼応しているところに親近感を覚えるところだが、こんなところに心を走らせる私なんぞは、妻から言わすと、「心の奥に差別がある。男が上という偏見があるから感動するのだ」と言い負かされてしまう。

 確かに、昭和演歌は男性作家の歌詞が多いことは確かなので、女の気持ちを男目線で描いているということは言えるだろう。しかし、多くの男の作家は、夜の街に自らを投じ、恋に涙する多くの女性を見て来た上で、その気持ちを男側から綴っているのであって、独りよがりに男目線で描いている訳では無いだろう。勿論、人生の奥深くを見ようとしない、また人生物語そのものを描こうとしない軽い作家もいるが、一世を風靡した曲の歌詞の多くは芸術、文学の域に達していると言っても過言ではないと思う。

 私の妻は、さだまさしの『関白宣言』という曲が大嫌いなようで、テレビであの歌詞が流れると、「ひどすぎないか。夫はそんなに偉いのか!」と言う。妻は演歌や男尊女卑を彷彿させるような昭和歌謡は絶対聴かない。

 関白宣言を聴いて、その時代の女性の多くは笑っていたではないか。誰も女性蔑視だといちゃもんを付けなかったじゃないか。これを女性が笑える寛容さが昭和にはあったのだと言う人もいるが、それは違うだろう。社会がそれを言わせなかっただけだ。その時代にも反発する人はそれなりにいたはずだが、社会全体が持つ女性観がそれを表に出させなかっただけだろう。

 最近、とある農村で区会の運営のことを聞き取りしていると、「女は口ばっかり達者で、じゃ実行に移してくれと言っても、調整ができずになかなかやらない。こういう時代だから女性の意見は聞く必要があるけれども、やっぱり動かすのは男がやらないとな」ということを言われた。ちょっと前の森会長発言を思い出す。

 私は、「”女性がやれない”とレッテルを張るのは良くないですよ。女性と男性ではそもそも調整の仕方が違うし、時間のかけ方も違うでしょ。あなたが、”おーい、お茶”と言って、新聞見ている間に、たくさんの育児、家事をこなしていて忙しいかもしれませんしね。そういう女性の働き方の中で、男のやり方でない新しい方法がこれからできるかもしれないじゃないですか。今やれないから、女はダメというのはどうですかね」と言うと、彼も「もう少し待ってみるか。でも、やっぱり女はなぁ」と言うことでした。

 昭和演歌は女性蔑視だ、ジェンダー問題だと言う人がいますが、私は違うと思っています。男側の女性の見方はあって良いし、そこにあり得ない願望も入っていて良い。問題は表現の決めつけと、女性とはこうであるという画一性(ステレオタイプ)ではないかと思います。

 小林旭の『自動車ショー歌』の歌詞で ♪あの娘をペットにしたくって♪(作詞 星野哲郎、作曲 叶弦大)は、いくら「ペット」と「トヨペット」をダジャレてるんだと言っても、表現的にアウトだと思うが、殿様キングスの『なみだの操』もぴんからトリオの『おんなの道』も、♪あなたにあったその日から恋の奴隷になりました♪(作詞 なかにし礼、作曲 鈴木邦彦)と歌い出す奥村チヨの『恋の奴隷』も、男のせこい願望ではあるが、認めましょう。

 大切なのは、そこを否定するのではなくて、女性目線が取り上げられず、この男性目線を画一化した社会に目をやるべきであります。女性目線が取り上げられすぎると、今度は男が男性差別だという者も出て来るとは思いますが、それでいいのです。もちろん、男だ、女だと性を二分するのもおかしい。いろいろな性感覚があって良くて、様々な考えが多様にある社会の中から、今の社会としてどう調整して何を選択するのかという問題であるべきだ。

 だから、昭和歌謡が女性蔑視という決めつけもどうかなと思うのです。そういう男目線があった時代があったということで、その目線側が填まる人もいればそうでない人もいる。そうでない人が、その目線側にいる人を排除することはできないのではないですか。

 ということで、今日も私は都はるみを口ずさむ。

♪ひとりで生きてくなんて できないと 泣いてすがればネオンが ネオンが染みる♪	(作詞 吉岡治、作曲 市川昭介)

 そして、妻は「あんたがひとりで生きて行けよ!」とそっぽ向く。

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