襲名披露

 海老蔵の市川団十郎白猿襲名披露。歌舞伎好きの私としては、ずいぶん前から楽しみにしておりましたが、とうとう観劇することが出来ました。

 11月吉例顔見世大歌舞伎では11月7日の初日に堀越勘玄改め市川新之助の「外郎売」と市川海老蔵改め市川団十郎の「勧進帳」、12月大歌舞伎では12月25日の千穐楽前日に襲名披露口上と「助六由縁江戸桜」を見てきました。初日を観劇したところで、「言わせてもらえば」に投稿しようと思っていたのですが、『助六』も見たいということで、投稿は我慢して、本日となりました。

 「勧進帳」は団十郎の弁慶もすばらしいが、義経役の猿之助がいつもとは違いしっかり脇に回っていて、より弁慶が映えましたし、「助六」は舞台全体が豪華絢爛、七之助扮する揚巻の悪態も爽快、助六の出端(では)の下駄の音も軽快、勘九郎、猿之助、団十郎の絡みではしっかり笑いを取り、さすがの古典歌舞伎でありました。只、最大の驚きは何と言っても新之助くんの成長でした。こりゃ、このまま素行が良ければ、父を超えるな。滅多に見ることのできない市川團十郎しかやってはいけない見得である「にらみ」を拝まして貰わないといけないと、目を凝らしてみた次第です。

 それにしても、襲名披露とは面白い制度だとつくづく思います。海老蔵さんも勘玄くんも、成田屋に生まれ、生まれた時から歌舞伎役者になることが運命づけられていた。そして、年月が経ち、芸のレベルがある程度に達すると、周りの後押しを得ながら、襲名するのですが、実は、このタイミングにルールはありません。

 特定の技術を得たら襲名ということであれば分かり易いが、そういうことではないらしい。演出技術、芸風、家柄、信用、地位を引き継ぐと言っても、どれにもこれと言って決まったハードルがある訳では無いのです。「俺がやる」と言って、みんなが「いいんじゃないの」と言えばできるのですが、それじゃいつでもできるのかというとそういうものでもない。ルール以上の本人と歌舞伎関係者間の呼吸みたいなものが大切みたいに思います。

 襲名というのは、歌舞伎や狂言、落語、茶道、花道などの伝統芸能だけではなく、かつては武家もそうであるし、農家や商家においても、家督の相続とともに、先代あるいは父方祖先の個人名を襲名する習慣がありました。どの家も、家職と技能の連続性を継承することで、その家が長い歴史の中で得た社会的地位や信用を守り、社会の安定した存続に貢献しました。特に農家などでは、その家が持つ農業技術水準の保持も大切な役割で、地域独自の農業技術の流出を阻止することで、特産物生産等の独占により地域全体の経済を優位に導いたりもしていました。また、水管理の調整を担う役割を持っていたような農家もありました。そして、家名を襲名すると、子供の時から教えられてきた家訓や家法に対する責任も相続され、社会的期待は一気に膨らむのです。独り勝ちをするための世襲ではなく、地域を支える世襲であったのです。

 世襲については、会社経営者や政治家において、よく弊害が指摘されます。無能であっても、新規参入者に比べると割と容易に同職につきやすいので、職務の遂行に支障がでるというものです。また、世襲があることで機会の平等が失われ、格差を生むという問題もあります。しかし、本来は、家が持つ職能が継承されてこその世襲であって、能力がなければ、基本は継ぐことはできないのです。個人の自由の問題と家なり組織が築き上げた社会的地位の存続は別問題ではないかと思います。

 十三代目が成田屋の職能を引き継げたのかどうかは、これからの彼を見るしかないし、より精進して歌舞伎の道を究めていただき、我々はそれを見るだけでしか応援できないが、私は少なくとも、彼の「にらみ」を信じて期待してみたいと思います。

 農業はファミリービジネスが成り立つ職業ですし、自然と順応して暮らすことができ、子供たちの教育にも有利な点です。また、匠の技を実感できる点でも誇りのある職業で、更に自分の農業思想を次世代に引き継ぐことができる点で、本来は世襲が優位に繋がる職業ではないでしょうか。

 先日、十数年前からお世話になっている山形県の豪農の方が県の農業賞を受賞されたので、お祝いに駆け付けましたが、その息子さんも今年お米のコンクールで大きな賞を受賞されました。親父さんが培った農業技術と農村地域での役割が後継者に繋がっていっているだけでなく、後継者が、父の背中を見つつも、父親が考えなかった技を目指して新たな挑戦をしている。これぞ本物の世襲だと感じました。

 農地の集積が進み、50ha規模以上の農業経営体が多くできてくると、収入もある程度安定し、経営体としての維持・発展は地域農業全体を支えるようになってくるはずです。そこで、また新たな世襲文化を作っていくということを考えていきたいものだ。農業法人名を単に継ぐだけではなく、いっそう、名前も継いで、襲名披露の儀式なんかも新たに作っていくというのはどんなものだろうか。もちろん、小規模であっても、世襲はあって良い。強制ではない。大切なのは、家や組織の中で、何が継承されているかですね。

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