ラデツキー行進曲

新年あけましておめでとうございます

 本研究会の会員の皆様、農村づくりに携わる全国の皆様並びにホームページの読者の皆様、旧年中は一方ならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。本年も、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げますとともに、農村づくりや多面活動の運営に向けて、研究会として皆様のお役に立てるようがんばって参る所存でありますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 と、通年のご挨拶をさせていただきましたが、おめでとうどころじゃありませんね。新年早々たいへんなことになりました。令和6年能登半島地震が発生し、亡くなられた方々には心からお悔やみを申し上げるとともに、被災された全ての方々にお見舞いを申し上げます。

 どうしてこともあろうに正月元旦に災害が来るのかなぁと、大地に対して怒りたくなりますが、これだけはどうしようも制御できないことで、今回の場合、特に地形的な課題が大きかったのだと思いますが、孤立集落も多く、もう2週間が経つにも関わらず、多くの地域で生活の立て直しに難航しているようです。被災された皆様には、重ね重ねお見舞い申し上げますとともに、できる限り早い復旧、復興を期待いたします。

 能登地域は私自身としては仕事であまり多くは関わって来なかったのですが、高校時代の夏休みに二週間ほどかけて、親友と二人で輪島市から珠洲市まで日本海側を徒歩で回った経験があり、黒瓦の美しい集落の佇まいに触れたこと、棚田というものを芸術的に見つめたのも、「白米の千枚田」が初めてで、私の景観研究の動機ともなっているような気もします。見附島の傍の国民宿舎に泊まって、若気の至りで、風呂で大暴れして旅館の人に怒られたこととか、ランプのお宿に泊まったこととかをよく覚えています。テレビで流れる地震速報を聞きながら、そんなことを思い起こしていました。

 私は、昨年末から風邪なのかなんなのかよく分からないのですが、咳が止まらず、未だにまだ少し残っています。それでも元気ではあるので、じっとしていることもできず、6日には久しぶりに笠間稲荷神社へ初詣に出かけましたし、8日にはウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団のニューイヤーコンサートを東京オペラシティーへ聴きに行きました。のんびりと聴けるプログラムとは言え、それでも演奏中に咳払いする訳にはいきません。最初から3曲目ぐらいにものすごく激しい咳発作に襲われそうになり、いゃー苦しかったのなんの。どうしようもなく咳が出そうになるが、これを我慢して我慢して、息を殺して死にそうでした。とうとう我慢できず、曲間に急いで抜け出し、会場の外で休みました。無理に咳を止めていたものですから、それこそ堰を切ったように咳が止まらず、しばらく涙目で苦しんでいましたら、会場係の方が心配してお水を買ってきてくれました。後半数曲になってまた会場に入りましたが、咳を我慢する自信がなく、妻の座る席までは戻れず、会場係の方に頼んで、一番後の一番端っこの直ぐ会場外に出られて、人に迷惑にかからない席を用意して頂き、そこに座って聴いていました。アンコールで「ラデツキー行進曲」の演奏の頃にはかなり治まってきて、とりあえず、他の人に迷惑にならないでよかったです。多くの方が亡くなられたのに静かに哀悼できなかった私への神仏の罰だったようにも思います。

 昨年は、前立腺がんが再燃し、年度初めから体調がこの調子ですので、今年の目標としては、関係者の皆さんに迷惑が掛からないようにしたく、研究会の活動も少し縮小させてもらう予定ですし、5年間続けました「楽ちん多面」の販売・保守サービスも他の方に代わって頂こうと思っています。65歳はまだまだ若いと思っていましたが、その過信がよくないのかも知れません。私自身はもう少し自分を労わった方が良いのでしょう。全体的に老後生活への見直しの一年にしたいと思います。今年も何卒、よろしくお願い致します。

※後だしじゃんけんみたいな意見を言わせてもらいますが、私は防災研究として、2002年に災害時の孤立集落を対象に公民館などで、下図のような通信システムを用意しては如何かと提案をしています。兎に角、孤立集落からの情報を共有できることが重要だと判断し、衛星電話なども含めた全キャリに対応したマルチデータ送受信システムを開発したのです。今となっては技術は古いのですが、考え方は古くないのに、なかなか普及には至らないものです。この当時は「自治防災支援システム」と名付けていましたが、今考え直すと、これは「自主防災支援システム」ですね。

関連記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。