地域にリーダーは本当にいないのか

 農村づくりにおいては、『地域を活性化するためには地域リーダーが絶対必要』などと言う、素人でも言い出せそうな原則があります。

「うちの集落には引っ張っていってくれる優秀なリーダーがいないから、農村づくりって言ったって、なかなか難しいよ」

 三十年近く農村づくりを陰ながら支えてきて、この言葉は幾度となく聞いてきました。そして、今になってもこの言葉は現場でよく出ます。

 また、よく言われている農村づくりの原則で、『農村づくりには「わか者」と「よそ者」と「バカ者」が必要』なんていうのもある。

 でも、「本当かよ!」って思うことがあります。この原則は、しがらみや固定観念にとらわれない『わか者』と、今までの枠組みに収まらなかった『バカ者』と、やり方を知らない『よそ者』は、農村地域を動かす力を持つという意味であり、私も、なかなか奥深い言葉だなぁと思っていた時代もありましたが、よくよく考えてみれば誰でもおおよそそんなことは、農村づくりの現状を見ていれば分かってくるのであって、道理ではあるが、それじゃ、よそ者とわか者とバカ者が一同に会すればどこでも農村が活性するのかということになり、実際には使える原則にはなっていません。

 リーダーがいたらできる、わか者がいたらできるというのは、できないことの言い訳ではないのだろうか。私は、リーダーが不明の地域づくりを、これまで幾らでも支援してきました。その地域は、おおよそ、農村づくりの過程の中で、時間がかかる場合もありましたが、最後には、立派なリーダーが現れてと言うか育ってと言うか、その地域をまがいなりにも前進させていきました。

 リーダーにはたくさんの種類があります。独裁的な人もいれば、カリスマ的なアイデアマンもいれば、自分はそれほど意見を言わないけれど、全体をまとめる包容力の大きな人もいます。俺について来いと先導するやり方もあれば、なんとなく合議で物事が決定していく場合もあります。これは、地域の発達の歴史や文化、村がらなどによっても異なり、一概に、引っ張ってくれるだけのリーダーが良いとは言えません。

 数人しか居住していないような集落は別として、リーダーが地域にいないということはなく、その地域にうまく合ったリーダーが未だ見つかっていないということに過ぎない。私は、三十年前の初めての農村づくり支援からずっと、地域のリーダーが見つからないと思ったことはありません。人は100人集まれば、新しいアイデアを出したり、面白いことを言う人、農業生産に長けた人、土木・建築などのモノづくりに強い人、パソコン使い、情報技術、会計事務に長けた人、子供の扱いに手練れた人と、必ずそういう人が何人かいるものなのです。そして、女性、高齢者もそれぞれに得意技を持っている。子供だって、中高生ぐらいになると地域の戦力の一つです。勉強が忙しい、受験があるというかもしれないが、農村の中高生全員が、地域のことに携われないほど勉強していて時間がないとは思えません。農村づくりに関係することにどんどんと彼らの力を活かせばよいのだ、テレビゲームに填まって、部屋に閉じこもっているよほど健康的ではないだろうか。

 リーダーは、多くのそういった得意技集団とコミュニケーションが取れれば良いのであって、リーダーという気質もさることながら、コミュニケーション力が大切です。そして、そのようなリーダー的な人材は必ず地域には数多眠っているのです。

 数十人の集落でもリーダーはいます。アメリカの先住民のインディアンのように長老がリーダーではあっても、補佐役には若い世代が付いていて、頭の良い者、狩りのうまい者がそれぞれの役割を担っている。あんな小さな集落でもコミュニティは形成されています。

 「今のリーダーは、地域の調整事もうまく、役所の連中ともうまくやっていっているが、次のリーダーはそこまで育っていない。この代で終わりかな」という人もいるが、本当にそうだろうか。誰も初めからうまくやれる人はいないはず、ギクシャクしながらでいいのではないか。「地域リーダーが必要」ではなく、「地域リーダーを取り巻くことが必要」なんだと私は思います。

※子供たちが遊んでいるみたいに見えるが、リーダーは一所懸命、子供たちから意見を聞き取っている。

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