クリスマスケーキにイチゴ

 庶民がクリスマスにイチゴのケーキを食べる習慣が広まったのは、砂糖の価格統制が解かれた昭和25年頃かららしい。明治時代にはすでにクリスマスもあったし、ケーキもあり、徐々に行事化されてはいたが、昭和に入り戦後の進駐軍の影響で、なんでもかんでもアメリカナイズされて、クリスマス文化は一気に浸透したようだ。日本人が甘いモノに飢えていた時代だったことも影響していると言われています。

 また、バレンタインのチョコレートと同様に、ケーキをたくさん売るための日本のお菓子メーカー(不二家なんですけどね)の商売戦略だとも言われており、実際に、海外ではクリスマスにケーキは食べないらしい。ついでに言うと、恋人とホテルで過ごすなんていうのもなく、昨今の日本のクリスマスは、イチゴの価格とホテル代を吊り上げるためのお祭りみたいになっている面もある。

 今年はイチゴの価格が例年より高騰している。ご存知のように石油価格の高騰に煽られたためだ。石油が上がれば、燃料が必要な産業はすべて痛手を被ることになる。漁船のエンジンにも石油を使うから魚の価格も上がり、近年の漁獲量の減少と相まって、サンマやアジなどの安い魚が今や高級魚に変化しているし、タクシー会社もクリーニング業も風呂屋も大変だ。

 そして、何より大変なのは、施設園芸を営む農業経営者だと言えるでしょう。ビニールハウスのビニルもマルチシートも石油製品であるし、その中を温めるのも石油ボイラーだし、クリスマスケーキのイチゴは石油がなくては作れない。イチゴ農家によると、鉄骨や肥料などの農業用資材も高騰しており、全部合わせると価格は5%から20%ほど上昇しており、単純に生産コストが10%ほど増える見込みだそうだ。もう限界を超えており、すでに価格転嫁も始まっている。

 クリスマスの子供たちの笑顔を見たくて、できる限り販売価格に転嫁せずに、安定して市場に出したいと、イチゴ農家にとっては「クリスマス」どころではなく、「クルシミマス」で頑張っておられることには頭が下がる。しかし、それはそれで評価し、おいしく甘いイチゴをなるべく安く食べたいという想いも残しつつ、今日はそれでも『そもそも論』をさせてもらうが、そんなにしてまでイチゴがのったケーキを食べなければならないのだろうかということを考えてみる。

 石油価格の高騰は消費生活全体に関わることなので、政府の補填対策もしっかりとやってもらいたいし、揮発油税や地方揮発油等の見直しも考えてもらいたいし、様々な保護対策と自助努力を組み合わせて対応していくしかないとは思うものの、やっぱり時代はSDGs(持続可能な社会への目標と実践)なのである。

 石油が上がったのなら、イチゴの価格は値上げによって売れなくなった分までズバッと価格に転嫁してもらって、お金持ちに高く買ってもらって、今年のイチゴは高くて、お金持ちの子供しか食べられないけど、庶民の子供は、今年安くなっている柿や梨で我慢しようじゃないかぐらいで良くないか。クリスマスまで鮮度が保てないなら、干し柿で良いし、梨ジャムを凍らせとけばいいじゃないか。クリスマスは赤と白のデコレートでないといけないと言う既成概念そのものがおかしい。「あの年は悲しいかな、ケーキに干し柿がのっていたな」と、イチゴを食べられなかったことが思い出として価値を持つ時が来るのではないのか。

 本来、イチゴの旬は春から初夏にかけてである。無理してクリスマス時期に合わせて作ってはいるが、12月24日をピークにして、1~2月はいちご狩りなどがあるが、3月になると急にスーパーから姿を消すところを見ると、石油を大量に消費して、無理やりにお菓子屋戦略に踊らされてしまっているのだ。田んぼの作業との絡みもあったのだろうが、確か、私の子供の頃の旬は4月頃だったような気がする。

 石油の消費を減らした方が気候変動の緩和には絶対に良いはずだとは、イチゴ農家のことを考えると簡単には言えないことですが、高くなれば売れなくなり、多く作り過ぎると価格は下がるだけなので、生産調整と価格転嫁と石油消費削減の最適値や損益分岐点はしっかり探ってもらうことにして、もう一方で『旬』の大切さを見直すべきではなかろうか。

 イチゴは1月が一番上手いというのは本当のことだ。環境ストレスや日照時間も考え合わせるとそうなるのだろう。そこで、そのイチゴをケーキにのせようということになって、まるで、1月がイチゴの旬であるかのように思ってしまうが、これは商業と農業の技術が作った旬であって、地球環境のための旬ではないように思う。

 そこまで言うなら、「もうあんたは、キュウリやピーマンを冬に食うなよ」「大根と白菜も夏に食うな」と言われるだろうが、♪キャベツばかりをかじってた♪なんていうも嫌なので、「ごめんなさい。チンジャオロース(青椒肉絲)大好きなので、冬場もピーマン食べたい」と言わざるを得ないが、消費者がこれを少しでも我慢するのもSDGsとならないか。

 施設園芸農家を敵に回し、イチゴ農家に冬にイチゴを作るなと言っている訳では無く、是非作ってもらいたいが、生産者側の石油を焚かない暖房や熱効率を上げる栽培の技術革新は必要だし、消費者側も夏秋イチゴを凍らせたものをケーキにのせたり、いっそうのこと冬が旬のブロッコリーとかチジミホウレンソウをのせてみることも考えた方が良いのではないだろうか。いやいや、イチゴが容易く作れる春から初夏にかけての時期に、お菓子屋が一丸となってストロベリー祭りでも仕組めば良いのではないか。私が言いたいのは、社会全体の意識構造の問題だ。SDGsだって言うなら、常識を変えるぐらいの意気込みがなくっちゃならない。

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