農村づくり実践論の振り返り

 久しぶりに多面の全国シンポジウムに行ってきました。何年ぶりになりましょうか。5年ぶりでしょうか。12月6日~7日にかけて、「農業・農村の多面的機能の持続的発揮に向けた全国シンポジウム」が東京の砂防会館別館において開かれたので、参加させていただきました。古くからの知り合いで山形県農村づくりプロデューサーの高橋信博先生がトップバッターでお話されるということなので、初心に帰って勉強させてもらおうと思ったのも参加の理由の一つです。

 先日、前立腺がんが『再燃』してから、自分の行動や考え方が少し変わってきて、人生を前に進めるだけじゃなくて、『人生の振り返り』にかかろうと思うようになりました。振り返りをすることで、また新たな道が作られるのではないかと思うからです。「夫婦として」、「家族として」、「子育てとして」、「仕事として」といろいろと振り返りはありますが、その中で、研究者として携わった農村づくりの実践論において、私が世に出して来たものについても、もう一度見直して、これで良かったのかどうかの確認作業をしたくなってきたのです。

 私は頑固ですので、今になって人の「農村づくり」の講義を聴いて、自分の考えと違うからと言って、簡単に自分の考え方を見直すようなことはないと思いますし、元々、高橋信博先生とは同時代に農村計画や地域づくりなるものを学んで、互いに切磋琢磨して現場実践をしてきたので、考え方の軸になるところはほぼ同じはずで、「俺のとは違うな~」なんてことにはならないと思いますが、それでも聴いている内に、「もしかしたら、自分の考えはずれている」と、遅いけれども今になって気づくかも知れないと思って、しっかりと真面目に拝聴させてもらいました。

 彼の講演のお題は「地域に消せない火を灯せ」~住民のやる気を引き出す力~。この題名は私も講演などでこれまで何度も使って来た言葉ではありますが、やはり、言いたいことにピタッと填まっています。最初から最後まで、彼の話を聞きながら、「そうだそうだ」、「それな!」、「さすが分かっているなぁ」と相槌を打っていました。始まる直前に挨拶に言った時、彼は私に「今日は、当たり前のことしか喋らないから」と言っていましたが、その通りで、以前に彼の講義を聞いた時と同じプレゼン資料もありましたし、聞き飽きているところもありましが、今回は飽きたと言わずにそんな部分もじっくり聴き直してみました。

 良いなぁと思うのは、さすが、コーディネーターとして現役で全国を飛び回っていて、人気があり、農林水産省の農村プロデューサー養成講座の筆頭講師もされているだけのことはあります。聞きやいし、プレゼン資料の文字の量とフォント、色使い、何を取っても洗練されています。トレードマークのちょんまげも、若い時は「日光江戸村のにゃんまげかよ!」と思っていましたが、今では風格を感じ、「宮本武蔵かも」と思えるようになりました。もし、未だに彼の講義を一度も聴いたことがない地域リーダーの方がいらっしゃるなら、是非一度はどこかで聴いておかれた方が良いと思いますよ。40分程度の講義ではありましたが、あっという間に終わってしまいまし。最後はちゃっかり養成講座の宣伝もしていて、小気味が良かったです。

 最後のプレゼンの言葉、「地域の人たちがその気にならないと何も始まらない」、「動かそうとする者の熱意が伝わらなければ未来ヘの扉は開かない」は、あり触れてはいますが、久しぶりに、彼が言うところを聴いて、ちょっとジーンときました。

 次の順番の講師であった鉈打ふるさとづくり協議会の事務局長の村田正明さんの「嫁に来たくなる里づくり」も素晴らしい講義で、そのまま聴き惚れていたので、高橋先生の講義の余韻に浸っている時間はそのときはありませんでしたが、家に戻って次の日の朝、昨日の講義は良かったなぁと、思い出しながら彼の言葉を再度噛みしめてみました。

 ああいう講義をすると、中にはこう言われる方もいる。「綺麗にまとめてあるし、理屈はわかるけれど、現場で実際にやっている地域リーダーからすると、専門家、評論家の類は良いとこ取りで良いよな。現場ではそんなきれいごとでは済まないんだよ」

 この意見、分からんではないです。次に発表された鉈打ふるさとづくり協議会の発表も、綺麗にまとめられてはいましたが、聴いていると、裏ではいろいろと苦労されただろうなぁと思うところも見え隠れし、高橋農村実践論とは合ってこないところもあるのだろう。それぞれの地域で独自の実践論を打ち立てて行かねば乗り越えられないこともあると思います。

 しかし、それで良いのです。社会がテーマですから、数学のようにはいきません。答えも一つではありません。それでも、拠り所となる理論、まぁ考え方ぐらいでも良いと思いますが、そういうものはやはり必要なのです。それに頼りながら、後は、地域が地域に合わせて考え方を足したり引いたりして行けば良いのです。

 さて、私の農村づくりの実践論の見直し点はあったのかといいますと、はっきり言ってないと思います。どれもこれも彼と同意見です。考え方だけでなく、手法論についてもかなり似通っています。私の場合は、「『暮らしの知』を鍛えることが農村づくりの推進に繋がる」という実践が付け加わりますが、直接その言葉ではありませんが、彼の実践論にもそういう部分はたくさん見受けられます。そりゃ突き詰めていけば考え方は重なってくるよなとは思います。でもただ一つありました。高橋先生に学ばなければならないことがありました。それは、話すスピードでした。私はあんなにゆったりと構えて離せない。私はいらち(せっかち)なんですね。人にものを分かってもらおうとすると、人の考えるスピードに合わせないといけませんが、どうも私は独りよがりでいけない。農村づくり実践論は伝わってなんぼである訳なので、言っていることが同じでも伝わっていないのであれば、それは論とはならない。もう私は現役を退いたので、そうそう講義の場面はないとは思いますが、見直しはしないといけないなと思いました。久しぶりに、農村づくりの実践論を語る人を通して、自分の考えを確認することが出来て、たいへん良い一日でありました。

※アイストップの写真はシンポジウムが始まる前の登壇上。肖像権侵害無しで使える写真はこれだけでした。ネット参加も入れて800人ほどだったそうです。いつも思いますが、あの両側に立っている旗は止めましょうよ。デザイン的にうるさいです。「俺たちの感」が強過ぎます。

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