依正不二と水辺の親しみ

 「依正不二」という仏教用語があるのをご存じでしょうか。「依」は「え」と読み、環境を表しており、環境が受ける影響のことを「依報」(えほう)と言います。また、「正」は「しょう」と読み、身体を表しており、自分の心身が受ける報いのことを「正報」(しょうぼう)と言います。そして、この依報と正報が二つに分けられることはないと言っているのが「依正不二」ということになります。

 私は仏教に精通している訳ではないので、本来の奥深い意味はわかりません。因果応報などの人間の業に関わるものだと思いますが、少なくとも、人の心身とその周りの環境とは別々に考えることはできないという解釈は間違っていないと思います。この「不二」と付く言葉でもう一つよく使われるものに「身土不二」という言葉があります。

 この身土不二も仏教用語で、同じような意味合いを持ちます。これまで自分を作って来た心身「身」は、それまでの暮らしぶりや環境としての土地「土」に影響し、かつその土地から自分の心身も影響を受けて、今が成り立っているのだという意味です。これが転じて、今では、地産地消のスローガンとして「地元の食品を食べることが良い」という別の意味で使われることもあります。

 環境を考える時は、常にこの「依正不二」の関係を踏まえなければなりません。良い環境は善い行いをする人の働きかけによって生まれ、また健康で健やかな心身は、良い環境から作られていくのです。もし、あなたの近くの水辺が汚れているのなら、それは水辺を汚しても気にならない人の気持ちが反映したものであり、一度汚れた水辺の環境は、周辺の人の心身に安らぎを与えることができず、ストレスを増加させてしまいます。心の問題にまで発展しなくとも、不快なにおいは発生するでしょうし、その水は回りまわって、その人の体に戻ってくることになるでしょう。

 親しみのある水辺づくりとか親水公園整備などと、水辺づくりの枕詞には「親しみ」という言葉が用いられることが多いのですが、何故、「親しみ」を枕詞に付けることが多いのでしょうか。私は、これは「依正不二」と関係が深いと思っています。

 人の身体の6割は水でできていて、この水は周辺の環境を構成する水辺の水と繋がっているからだと考えられませんか。「いや、私は海外の水を買って飲んでいるし、野菜や米も周辺で採れたものは食していないから私の身体は、周辺の環境にある水と繋がっていないよ」なんて言う、屁理屈は言わないでください。米を洗ったり炊いたり、水道だって使っているでしょうし、周辺の水辺から発した水蒸気に肌は触れているでしょう。あなたがその水辺の近くに住んでいれば、それは、嫌でも「依正不二」の関係にあるのです。

 だから、水辺には常に親しみを以って接することが必要なのだとは思いませんか。

 水辺に親しむためにも、水辺の景観のしつらえと持続的な利用は地域において重要な活動としていかなければなりません。そして、活動の第一歩としては、水辺がどのような空間的・時間的背景をもってそこに存在しているかを素直に理解することです。

 すなわち、水辺が周囲の動植物、人間を含む山、川、農地、家並み等の種々の環境に対 して現在如何に働きかけ、さらにその中に息づく動植物、人間から如何に働きかけられているか、如何なる時間的経緯を経て今の形を形成するに至ったかを明確に促えることです。

 近年、水辺を自然に近づける整備が推進されていますが、水辺は常に周囲の自然環境に対して働きかけ、地形、流れの形状等の無機的なものから、生態系等の有機的な全てを含む自然の一部として存在していることを理解し、景観形成を図る必要があります。

 また最近は、水辺の歴史を大切にしようとする活動も推進されています。季節の行事や風物とともに水辺景観を整備し、水辺が現在の形に至った歴史的かつ技術的背景を元に水辺景観を整備していこうとする試みがあります。

 水辺を自然に近づけ、水辺の文化・歴史を考慮した形での景観形成を進めることによって、人は水辺に対する恩恵と畏怖の念を持つようになります。

 この恩恵と畏怖がパランスよく心の中に存在する時、人は水辺の喜びと病みを理解することができるようになり、水辺に対して強く「親しみ」を感じるのではないでしょうか。この境地に立って、初めて「依正不二」に通じます。

 昨日、テレビ東京で「緊急SOS!池の水全部抜く大作戦」が放映されていた。池の水は濁り汚れ、外来種はわが物顔で住み着き、池底には膨大なゴミが溜まっている。これを、タレントの田村淳さんと田中直樹さんらが、静岡大学の加藤先生の指導の下、地元の皆さんと協力して清掃をするという環境バラエティだが、何十年もの正報が、池と言う依報に働きかけた結果の親しめない水辺をなんとかして親しめるものにしていこうとしていて、メディアを通してではあるが、「依正不二」を強く感じる。

 周辺にある水辺が親しめない、親しめる水辺になっていないなら、それはあなたも健全な心身ではないということかも知れません。あの汚れた水が自分の心身に流れていると感じることが大切なのではないだろうか。

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