成人の日を考える

 地域の新成人が一堂に会して行う成人式の発祥は、昭和21年、埼玉県の現在の蕨市で開催された「青年祭」だと言われています。それが全国に広まるとともに、政府の進める祝日法立法の流れに乗り、昭和23年の法律の施行に当たり、1月15日は「成人の日」と制定されたということです。

 戦後間もないというか、終戦日は昭和20年8月15日ですから、まだまだ混乱期ではないのかと思うが、わずか1年で、「青年祭」は開かれており、たった3年で、国民の祝日に関する法律が公布・施行されたということになる。

 驚くべき回復力というのか、希望に向かう力というのか、言葉が選びづらいが、戦争を知らず、敗戦後の苦しみを知らずに育った私としては、とにかく、この国民の意思力に驚くしかない。関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災、コロナ禍事変と、国民の希望に向かう意思力が、なんだか徐々に削がれているように思うが、それじゃあだめだ。たった3年で祝日法にまで繋げ、希望を膨らました当時の国民と政府の力強さを、今こそ見習わなくてはいけない。この時分の総理は、篠原喜重郎に吉田、片山、芦田あたりだと思うが、考えてみりゃ、それもなんだか凄すぎる。これ以上は何も言うまい。

 さて、祝日法は、第一条に意義が示され、「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける。」とあり、第二条の中で、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」と『成人の日』の趣旨が書かれている。その後、平成12年の法律改正に伴い、1月第2月曜日と日にちは変わったが、趣旨は今も変わっていない。今年は、本日11日が『成人の日』ということになる。

 そもそも成人を祝う儀礼は古くからあり、男子には元服・褌祝、女子には裳着・結髪などがあったことは皆さんご存じであると思いますが、今の成人式とだいぶ中身が違いますね。

 中世・近世における武家階級での元服では、服装、髪型や名前を変えるものでした。男子は腹掛けに代えて褌(ふんどし)を締めましたし、女子は成人仕様の着物を着て厚化粧するものだったということです。

 このような形式張ったイニシエーションは、人生の通過儀礼でもあったのですが、その根本には、社会の一員として認めるか認めないかの問題があった訳です。男子の場合は、米俵1俵を持ち上げられるかとか、どこかから飛び降りて怪我しないかとか、地域の祭礼で行われる力試しや度胸試しを克服することが一人前という条件のものも多かったようです。三十年前になりますが、景観施策の関係で、飯豊町の調査をしたことがありましたが、その時、会津や米沢地方では、13~15歳になると、飯豊山を登山し、登頂したら一人前の男として認められたということを聞いたことがあります。いわゆる成人の儀式である。3日3晩にわたる「行屋」での精進をしたあと、飯豊山の山頂に登る「御山がけ」というのがあって、一度、子供たちの白装束の写真みたいなのを見せられたことを思い出します。

 バンジージャンプというのも成人の通過儀礼の一つです。今ではスポーツ競技とかアトラクションみたいになってしまいましたが、元々はバヌアツ共和国のある部族がやっていた成人の儀式です。部族を守れる勇気を試すもので、死ぬ若者も多かったようで、あれで生還しないと、部族として認めてもらえなかったということになります。神の命の選択までが儀礼として位置付けられていたことになります。

 本当に、社会に生きる、社会に責任を持つということは、大変なことだったのだと、改めて感じます。

 成人というものの本当の意味が、もし、社会人として社会が認めるか否かというところにあるとするなら、今の成人式はいかがなものだろう。ちょうど今、週刊農林の紙面を借りて、『農村文化の伝承と農村づくり』と題して2回にわたって連載しているところですが、その中で、「文化は日々形を変えて引き継がれてきたものである。だから、新しい装置や関係人口を含んだ活動が、文化を壊すということはない」と述べさせてもらったが、本意を継承しながら形を変えるなら良いが、本意が別の物に置き換わるなら、それは文化の伝承とは言えないだろう。

 以前より少し減ってはいるみたいたが、市長が挨拶をしている壇上に上がり、暴れたり、街中で騒いで、酒をラッパ飲みして、喧嘩をするのなら、それは通過儀礼とはならない。コロナじゃなくても自粛してもらいたいものだ。また、同窓会みたいになってしまっている例もある。久しぶりに顔を合わせ、語り合うことが悪い訳ではないが、これからは、一人一人が責任ある大人になって行くんだという意思を表明するなら、目線は友人に向かうのではなく、ひたすら社会の未来に向かうべきで、壇上の国旗や市町村旗が目線の先ではないと言うなら、ふるさとの山々を眺める方がまだ良いと思う。また、社会に向かう目とともに、もう一つ大切なのが、育ててくれた親、親戚縁者、地域に対しての感謝である。これも決して忘れてはならない。晴れ着は、着物やスーツではなくて良いし、競って友達に見せるものでなくて良いのだ。儀式に参列することや晴れ着を着ることで、気持ちが洗われ、ビシッと決まるということもあるので、必要ないとは言わないが、本当に必要なのは、儀式や晴れ着そのものではなく、若者の心の向き方ではないだろうか。

 今年は、コロナ禍で、更に、関東近辺は緊急事態宣言も出ている中で、成人式の中止や様々な工夫をして開催している自治体が多くなった。今年、成人式だったという若者の残念な気持ちはよくわかるが、良い機会ではないか。特に、農村地域では、地域人としてデビューするための成人式とは何かということを考え直すきっかけにしてはどうだろうか。

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