怪談

 「暑い日が続きますので、怪談でもしますか」と言っても、私は話下手ですし、そもそも私が体験した話は「怪」ではありますが、怖いお化けが出たという話ではないので、ヒヤッとはしないかもしれません。只、人伝てに聞いた話ではなく、私が実体験したお話ではあります。少しお耳を拝借できれば幸いです。

 平成十六年の真夏のことです。その日、東京農大の学生Tくんと私は、千葉県多古町のとある集落内において、早朝から真夜中まで4時間おきに集落内の数カ所で、音の計測をしていました。環境音の1日の変化を農村部と都市部とで比較し、農村のサウンドスケープの多様性を解明するのが目的で、Tくんの卒業論文のテーマでした。
 計測地点は田んぼの脇、集落の中心、主要道路、公園などの施設ですが、その中に、寺の山門前での計測もありました。この日六回目の計測となり、深夜三時を過ぎていましたが、これが本日の最後、もうひと頑張りということで、気合いが入っていました。
 真っ暗な中、門前に日産キャラバンを止め、騒音計、録音機などの機材を下ろし、セットし、計測を始めます。小さなお寺で、幅数メートルの山門正面から二メートルのところに測定器類、マイクは門の中に向けられています。計測器の後ろに数メートル離れて二人、そこから更に五、六メートル後に車を停めていましたが、たまたま車のスライドドアを閉め忘れたまま計測を始めてしまいました。いつもどおり、10分程度計測をするのですが、その間二人は、動かず黙って息を殺し、聞こえてくるのは、草むらからの虫の音と遠くを走る車の音だけです。時々近くからヴィーンという低い音がしますが、暑くて寝苦しい夜なので、エアコンがついたままなのでしょう。周辺の家の室外機の音でした。三回の計測中は、とにかく、それ以外の音はしていません。何軒かの家には電気がついていましたが、寺の中は真っ暗でした。計測が終り、早々に片付けて、さぁ、車に乗り込もうとした時でした。Tくんが、開いたままのスライドドアをくぐろうとすると、頭に蜘蛛の巣がひっかかりました。
「なんだこれ、どうしてこんな所に蜘蛛の巣があんの?」
 懐中電灯でドアを照らしてみると、少しどころじゃない、なんと、かなりびっしりと蜘蛛の巣が、ドア一面に張っているではありませんか。数十センチの巣では無いのです。ドア一面なのです。
「えっ、蜘蛛の巣ってこんなに早く張るものなの」
 不思議だとは思いましたが、この時は少し驚いたぐらいで、それほど気にせずに、蜘蛛の巣を払いのけて、車に乗り込みホテルに戻りました。
 ホテルに戻ると、これまでもそうですが、必ず採集した音データがちゃんと録れているかどうかを確認してから寝ます。朝から採集したデータを順に確認して、最後の山門前のデータを確認し始めた時、身体がぶるぶるっと震えました。お経の音が聞こえるのです。とても小さい音ですが、確かにお経が聞こえます。
「えっ、こんな音、聞こえてたっけ」とTくん。
「あの蜘蛛の巣、なんだったんでしょう」
 それ以外の回は何も変わったことは無かったですが、あの一回だけ、何回聞いてみてもお経が聞こえるのです。お寺には誰も居なかったし、音もしなかったのに、あれは何だったのでしょうか。蒸し暑い夏の夜のゾゾッとした話です。その寺は江戸時代、幕府から弾圧を受けた、日蓮宗不受不施派のお寺だったそうで、攻めに抵抗し、教義を守り抜いたため、信者や僧侶は投獄、流罪となり、涙無くしては語れない悲しい話があったそうです。

 今日はここまでのお話で余韻を残したままで読み終えて頂ければと思いますが、最後に、怪談と農村づくりとの関係についての私なりの考えに触れておきたいと思います。

 なぜ夏に怪談話をするのかと言うと、決して怪談話をすればヒヤッとして汗が引くからではありません(ただ実際には、交感神経の刺激によってヒヤッとすることも確からしい)。民俗学者の折口信夫先生がおっしゃるには、「お盆」には、あの世から死者の霊が帰ってくるのですが、当然、守護の先祖霊ばかりが戻って来るのではなく、無縁仏や恨みを抱いた怨霊も帰ってくるそうです。「盆狂言」はそうした浮かばれぬ霊に成仏してもらうために演じる鎮魂の芸能で、歌舞伎の夏の怪談芝居は、農村で行われていた「盆狂言」の伝統を引き継いでいるそうです。今年も8月、京都南座では玉三郎と愛之助で「牡丹燈籠」が演じられるようで、昨年は「四谷怪談」でしたので、上方ではしっかり怪談物をやっているようですが、東京はここ数年怪談物が減っているように思います。是非、夏の怪談物を歌舞伎座でも盛大にやってもらいたいものです。

 また、折口先生は、怪談話をするのは、外部から近寄る魔物を寄せ付けないために、家の中で怖い話を語ることで「ここにはもっと怖いものがいるぞ」と思わせたのだとも言っています。更に、戦国時代には武士の鍛錬に用いられたとも言われ、江戸時代に入ると遊戯的で享楽的な性格が加わったらしいのですが、原点は、霊と生者との交流だったということではないかと私は考えています。日常的にずっと死んだ人の霊魂に気を掛けて暮らすことは辛いことです。盆というあの世とこの夜が繋がる時期に、敢えて儀式的に霊を迎え入れて交流することで、先祖の魂と共に我が家系は存続するよと確認したかったのではないでしょうか。

 集落のよく知っているメンバー同士で百物語を催すなんていうのも交流の一つなのでしょう。自分が触れた霊との話を、元々の地縁や血縁のある仲間と共有することで、霊を鎮魂しているという事になります。「つい先日、山の中腹をものすごい勢いで走る赤い光を見たんだ」と一人が話し出すと、「俺もみたことあるべや」、「私は権現神社の裏山で青い光を見た」なんて思い起こしながら、今度は自分の体験を話す。話している内に、同じ環境を共有する一体感が生まれるものです。これが霊との交流というか、霊を介した交流の村づくり効果なのではないでしょうか。農村づくりは情報の共有を基本とします。ですから怪談を伝え合うのは紛れもなく農村づくりの一つのツールと言って良いでしょう。興味のある地域リーダーの方は、是非一度『怪談百物語』などを企画してみては如何でしょうか。

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