乗り過ごし

 今年、ホームページで「ゲスト講義」をお願いしようと思っている専修大学の小林昭裕教授と、先日20数年ぶりに東京でお会いし、会食をしました。彼は、私が景観研究を始めた30代前半に、私の所属していた研究室に研修に来られた先生で、当時は、北海道美唄市にあった専修大学北海道短期大学(平成29年閉校)で教鞭を振っておられました。計画学、造園学、観光学などを専門とし、農村・都市計画、景観、環境政策、環境社会システムに造詣が深い方です。そして、なんと言っても様々な知識を動員して論理的に構成されていく話がとにかく面白い。こんな先生の講義が聞ける学生たちは幸せ者だと思います。

 あの頃二人は若かった。研究室で景観研究に関する議論を、深夜までやったものです。興が乗ると、先生も私も、議論も酒も終わらなくて、気づくと、いつのまに研究室を飛び出していて、朝までやっている居酒屋でビール瓶が何本も立ったテーブルで互いに突っ伏して寝ていたなんてこともありました。

 久しぶりの再会では、さすがにお互いに衰えを知ってか、とことん最後までは行きませんでしたが、議論はなかなか終わらず、私は結局、最終列車となってしまいました。

 こういう飲みながらの議論というのは、最初はまじめに社会のあり方や農業、農政についてやっているのですが、終いには議論は取っ散らかってしまい、往々にしてたいしたことは話していないことが多い。只時々、しらふでは展開しないような議論になって、面白い結論を導き出すこともあります。農村づくりでの住民同士での話し合いでも、酒の入った上での議論は大切です。飲める方はとことん飲んで、飲めない方はたくさん食べて、食べない方は食べないで良いので、多様な人材と多様な状態で、議論をし尽してください。飲んでの議論はだめだと言う方もいますが、私は喧嘩にならないようにしながらの多様な状態の方の無茶苦茶な議論は重要だと思いますけどね。本音の見え隠れする議論ができるのはこういう時ではないでしょうか。

 先生がこの日お話されたことは、いずれ「ゲスト講義」で読者の皆様に公開する予定です。論文には書かない部分ですが、ロマンたっぷりというところを書いていただこうと思います。はっきりとは覚えていませんが、「それは面白い!」と思わず声が出たお話であることは間違いありません。期待してお待ちください。

 さて、酒が入ると議論の終わらない二人ですが、この日も、「景観ってなんやろ」、「農業政策ってどうしてうまくいかないのだろうか」から始まり、「ChatGPTはどうするの」、「最近の学生はどう」と真面目な話をしているかと思いきや、散らかりだしてからは、話はあっちにいったりこっちに来たりです。せっかくカウンターに座り、丁寧に一本ずつ湯気の立つ焼きたての串を出してくれるお洒落な店に行ったのに、完全に冷え切ってしまい、数本溜めては、一気に食らい、また話に夢中になる感じでした。料理長ごめんなさい。

 そして、いつのまにかお酒にまつわる失態話になって、どれだけ長い距離を乗り過ごしたかのしょうもない自慢話に変わっていった。私が、最初に農林水産省での41歳の時の大失敗の話を披露した。

御用納めの日だったんだけどね、研究調査官仲間で新橋辺りで飲んだ後、飲み過ぎて記憶が飛んでしまってねぇ。その後、なんだかざわざわするなと気がついて、目をうっすらと開けてみたら、最初に目に入ってきたのはスキー板の先っぽだったんよ。

帰る途中の電車かと思って、片手に抱えていたバックを引き寄せ、あっ、バックは大丈夫だ、ロッカーにあった洗濯物を入れた紙袋もある。あっ、コートもちゃんと着ているなと、昨日の夜の最後の自分の姿の記憶との照合をしながら、だんだんと目を開けると、『ざわざわ』していたのは若者達のはしゃぐ声だったんよ。

あれあれ、どうもこれは乗り過ごしたのかなと、ようやく気づきつつあるところに、タイミング良く、車掌の車内放送が聞こえてくるんだなぁこれが。「次は、会津高原駅、会津高原駅、終点です」ってね。そこでようやくスキー列車に乗ってしまったことに気づいたんだけどね。もう遅いよね。車窓からは雪がちらほら降っているのが見えるし。

会津高原駅に降りると、スキー客はそのままホテル直行のバスに乗り込んでいき、あっちゅう間に、人っ子一人いなくなり、私は、月曜日の公園のベンチ、リストラにあったサラリーマンのように、バックを胸に抱え、横に紙袋を置き、雪の中のホームのベンチに一人だよ。これまた演出がかかり過ぎで、嘘みたいだけど本当のことなんだけど、途方に暮れる私への飲み過ぎの仕打ちなのか、本日の営業終わりの合図で、バン、バン、バンと端っこから順番にホームの蛍光灯が消えていくもんね。映画の一シーンのようだったよ。その後、会津高原駅の優しい駅員の皆さんに、駅舎に暖かく迎えられ、なんとか、火曜サスペンスの西村京太郎小説の駅のホームの殺人事件っぽい現場になるのだけは免れたけど、あれは最大の失敗だったなぁ。

 という話をしたら、小林先生もなかなかの実績保持者である。札幌から美唄へ帰るつもりが旭川まで乗り過ごしたことが何回もあるそうです。「北海道はでっかいどう」である。走行距離130km、約60kmの乗り過ごしです。

 私は走行距離200kmということになって、距離的には私の勝ちだと言いたいのだが、よくよく考えてみると、私のは北千住から本来乗るべき常磐線に乗っていないので、「乗り過ごし」ではなく「乗り間違い」であって、ルール違反の失格ということで、小林先生の勝ちになる。

 コロナ禍が明けて、飲み会も多くなっていると思いますが、皆さん気をつけてください。でも、議論の場はたくさん作ってください。農村づくりは話し合いから始まります。今週はお粗末なお話で申し訳ありません。息抜きということでご勘弁を。

※会津高原駅は今は会津高原尾瀬口駅で、あの時は、駅員さんのご厚意で、気の毒だから行きの乗り越し代金は免除され、帰りの切符は買いました。

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