吉野ケ里遺跡にて

 夫婦二人っきりで旅行に行きました。多くの御夫婦は、実家への帰省も含めて、毎年1回くらいは旅行に行かれるのだと思いますが、我が家は若い頃はお互い忙しく、休みが合わない上、旅行となると子供たちも連れて行くことになって、夫婦二人だけで旅行というのは新婚旅行以来行ったことがなかったのです。また、子供たちが大きくなり、独り立ちした後は、猫さん二匹、犬さん二匹を飼っていたので、一泊することができず、どちらか一人が留守番で残るため、二人揃っては何処にも行けませんでした。

 現役時代は、妻に、「老後は二人でいろんなところへ行こうや」と、罪滅ぼしの予告みたいなことを言っていましたが、これまで、夫婦水入らずの旅というのはなかなか実現しませんでした。しかし今年5月に、長生きした爺猫さんが18歳でとうとう亡くなったので、今年は夏にどこか行こうということになって、妻が行ったことのない佐賀、長崎へ3泊4日で行くことにしました。これで、熟年離婚のリスクはだいぶ減ったのではないかと安堵しています。

 猛暑日の4日間で、熱中症には気を付けなければならない毎日でしたが、雨に降られることもなく、のんびりと、佐賀では吉野ケ里遺跡、長崎では九十九島、大浦天主堂、グラバー園、浦上天主堂、平和公園などを訪れました。

 吉野ケ里遺跡は夏休みに入って最初の日曜日でしたが、来訪者は少なく、どの施設もゆっくりとボランティアガイドさんの話を聞きながら巡ることが出来ました。敷地面積は東京ドーム25個分ですので、とても全部は歩けませんでしたが、環壕集落や墳丘墓などの主要な施設は、一つ通り過ぎてはペットボトルの水を飲みほして、エアコンの効いている展示室では送風口の前に長く座り込んでガイドさんと話し込み、竪穴住宅の中はエアコンは無いが、陰にはなるので、逃げ込むように涼をとりながら、弥生ロマンを味わってきました。

 いゃ~驚きました。ちょうど私が九州農業試験場に転勤し、佐賀市内に住んでいた若い頃に、発掘調査が始まった(1986年)ところでしたが、今、それがこんな立派な史跡になるなんて想像もしていませんでした。妻は、結婚前は海外旅行が好きで、職場の友人とヨーロッパの有名な史跡にはたくさん行ったと聞きましたが、その妻でさえ、この環壕集落の復元には感動していました。まぁ、ルーツとしての郷愁があるのでしょう。

 私は、九州農業試験場ではクリークの研究もしていましたし、農村づくりはライフワークですので、「環濠集落」はよく知っていると思っていましたが、私が知っていたのは中世以降の荘園の環濠集落でした。吉野ケ里の弥生時代の高地集落の濠は水を張っていないので、「環濠集落」ではなく、「環壕集落」と呼ぶらしい。読み方は同じ「かんごうしゅうらく」なのですが、字が違うのです。いつから「濠」と「壕」の使い分けがされたのかは知りませんが、このことを知らなかったことにショックを受けました。

 それにしても、稲作が伝来し、水田が出来て、ようやく不安定な狩猟文化から脱出して、おだやかな時代が来たのかと思っていたら、もうこの頃から、村に貧富の差が生じ、持たざるムラと持てるムラとの間で闘いがあったということを思うと、時代は変わっても、人類の歴史の本質は変わらないものだとつくづく感じます。

 遺跡を詳しく見ていくと、大きな外濠(そとぼり)が張り巡らされ、狭い門の周りには逆茂木(乱杭)が施され、獣の侵入や他村からの襲撃に備えていました。中に入ると、一般の人が住む集落と田んぼがあり、身分の高い人たちの住む一角だけはさらに内壕(うちぼり)が張られています。さらに、この近郊の集落のリーダーが集まって、まつりごとを行う主祭殿には二重に環壕が張られています。主祭殿は、国で言うと国会議事堂、集落で言うとコミュニティセンターみたいなものですが、その守りは入念であったようです。

 先日ニュースでも報道され、高貴な方のお墓ではないかと期待された石棺墓の発掘では何も出なかったので、ガイドの方が、「卑弥呼よう(らしき)の人」とクレームされないための解説をしていましたが、主祭殿の3階には、お告げを聞くための祈りをする彼女と従者の人形があり、2階では集落のリーダーが集まりお告げを待っている様子が再現されていました。

 農村づくりは今も昔も変わらない。人が集まり、情報を受け取り、みんなで話し合い決め事をする。変わったのは、決め事の情報が神からのお告げなのか科学的根拠なのかの違いだけです。卑弥呼ようの人である司祭は、ようするに環境と社会情報の詰まったコンピュータであり、地理情報システムである訳です。霊感も含め感性の高い人なので、情報の変化から何かを感じ取っていたということなのでしょう。

「近年では、イノシシも不審者も集落内を好き勝手に出入りしているが、もしかして、現在も戦乱の時代なのではなかろうか。吉野ケ里を見習って集落毎に柵で囲んで壕を作った方が良いのかなぁ」「最近は局所豪雨で内水氾濫も多いから、この空壕は有効だよね。二重三重に」 「いやいや、それよりは高床式が良いだろう。しかも免振で」と、そんな馬鹿なことを言い合いながらの二人旅でした。

※左が主祭殿、右はその2階で集落のリーダーが集まり、クニの祀りが行われている。収穫の時期を決めたり、外部からの襲撃への対策を話し合う場ということですね。おそらく、土地をどう広げるかとか水をどう確保するかも大事な話し合いだったのでしょう。

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