やっと来た!大内宿

 ゴールデンウィークはどこへ行っても混んでいるので、今までは旅行は避けていましたが、今年は少し遠くに出かけてみようと、会津若松、喜多方方面へ車で出かけてみました。

 どちらも何度か行ったことのある地でありましたが、今回は大内宿にも寄ることにしました。農村景観の研究者であったにも関わらず、大内宿を見たことがなかったので、一度は行ってみたいと思っていました。

 大内宿は福島県南会津郡下郷町の大内集落で、江戸時代の下野街道の宿場町です。集落の周りの山間には緩やかな棚田が広がり、集落の中央にはまっすぐに道路が走っている列状集落の代表格です。これまで写真や書物で見て来たとおり、街道沿いに建ち並ぶ茅葺屋根の民家はとてもよく管理されており、見事でありました。なるほど、さすがに「重要伝統的建造物群保存地区」だけのことはあります。列状集落の宿場町と言えば、長野県の妻籠宿や奈良井宿、三重県の関宿、福井県の熊川宿などが頭に浮かびますが、他の宿場町とこの大内宿の趣が少々異なるのではと感じるのは道路の広さです。真ん中に川や水郷が流れる列状集落は比較的広いですが、道路だけでこれだけ広々としているのは他には少ないですし、民家一軒一軒が大きく、ほぼ同一のデザインの建物であり、軒先が揃えて設えられているのも少ないように思います。

 大内宿が全国の注目を浴びたのは,武蔵野美術大学の相沢詔男先生が大内宿で保存運動を始められ、それが朝日新聞に掲載されたことが発端ですが、発展段階ではいろいろと障害もあり、住民が本気を出すまでにはだいぶ時間がかかったようです。妻と次男を連れての気軽な旅ですので、研究者のような聞き取りをするということではなかったですが、次男がせんべいを焼いていたおばさんと話をしているのを横で聞いていて、私たちが茨城から来たことを話すと、この集落がこうして今も残っているのは茨城から来た先生のおかげなのだと言っていました。水戸出身である相沢先生のことなのだと思いました。重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのは昭和56年と、かなり前のこととなりましたが、今ここに住む世代の人々の知識としてちゃんと残っていることに感銘を受けました。

 今では、集落を歩き、景観にほっと一息つき、おいしいお蕎麦を食べて、江戸時代の暮らしに想いを馳せる、そんな観光地となっていますが、相沢先生が声を挙げてから40年の月日が経ち、農業と生活の環境も、また、観光客の意識や住民のもてなしの意識も徐々に変わってきているのではないだろうか。集落を壊さないまま存続させていくためにはどうしたら良いのか、新たな模索が始まりつつあるのかなと思いました。

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