寄り添い支援と言う勿れ

 

 3月11日、東日本大震災より11年の月日が流れました。

 東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、そのご家族や被災された方々に、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 連日、新聞やテレビでは11年目の今を伝える報道がなされ、まるで昨日のことのように様々なシーンが蘇り、直接大きな被災をしなかった私ではありますが、心が締め付けられます。被災による心の問題というのは、被災者だけではなく、関わったすべての人になんらかの形で存在するものなのでしょう。親しい人を亡くし、愛したふるさとを失った被災者の方の悲しみは計り知れませんが、被災の程度に関わらず、人それぞれに複雑で多様な精神的な痛手を受けたことは間違いないと思います。

 被災時の精神的な痛みは幾年過ぎても癒えることはありませんし、また、それを忘れようと、未来に向かって進もうとしても、そこにまた精神的な壁があり、心の痛みは起こります。様々な葛藤も生じることでしょう。被災地に戻りたい親世代と新たな土地で新しい生活を築きたい子世代とで、心のすれ違いによる家族の悩みもあるのかもしれませんし、被災地に夢を求めてみたが、なかなか元の通りとはいかないことに不安を抱いている方もあるでしょう。特に、福島県の帰還困難区域や居住制限区域の被災者の方々にとっては、「ふるさと」をどう捉えれば良いのか、将又、新しい街をどう受け止めれば良いのか、未だ答えが出せないまま、時を経ることでまた新たな心の問題が生じるのかもしれません。

 私は、心の問題の専門家ではないので、心の問題を如何に表現し、如何に扱えば良いのかそのものが分かりません。すでに最初の数段落も、正しい表現なのか、被災者の方々の心情に寄り添えているのかよく分かりません。知らない内に、私の言葉が被災者の心を傷つけているのではないかと心配でなりません。

 私事でありますが、阪神・淡路大震災で私の西宮の実家は倒壊しました。幸い私の両親は助かりましたが、近所の親しい友人はたくさん亡くなりました。その時もたいへん苦しかったことを覚えています。しかし特に、私にとって苦しかったのは、年老いた両親を西宮からつくばに迎える時の、関西を離れたくない父の気持ちとつくばに迎えたい私の気持ちのすれ違いでした。しばらく互いに思い悩みました。こんな小さな悩みでさえ、結構しんどかったように思います。今は、両親も亡くなりましたが、未だにふるさとを離れさせて良かったのかと考え込むこともあります。また、私自身も「ふるさと」を捨て、裏切ったような気持ちが残り、あの時のことを思い出すと心がもやもやしてしまいます。

 大人でもこれだけの心の悩みを抱えるのです。ましてや、小さな子供たちは、多くを表現できないだけで、様々なストレスや苦しさを抱えているのだと思います。子供たちに寄り添い、共感していくことは、おそらく、ものすごく大切なことなのではないかと思います。

 東日本大震災から数か月経って、岩手県大船渡市吉浜地区の復興計画づくりの支援で、新幹線で何度か通っていた時、山本一乃さんというご婦人と席が隣同士になったことがあります。私が復興に関する資料などを読んでいたところ、急に、「復興のお仕事をされているのですか」と、彼女が声をかけてきました。

 私が、大船渡で住民参加の復興計画づくりをお手伝いしていると説明したところ、彼女は、自分も今から初めて被災地に行くのだが、被災地はどんな状態ですかと真剣なまなざしで尋ねてくるので、私の知っている限りをお伝えし、「どうして被災地に行かれるのか」と逆に聞いてみた。

 彼女は小学校の先生を退職され、絵本を執筆されていた。今回は、絵本の朗読や、踊りや音楽を使って身体を動かすことで子供たちとコミュニケーションを進める「ムーブメント・コミュニケーション」を考案された娘さんと一緒に、子供たちの心のケアをお手伝い出来ないかと思って、初めて被災地へ入るということでした。その時、絵本も一冊頂きました。

 私は農地の再整備や堤防建造など、インフラ整備で復興することばかり考えていましたが、彼女たちが、「子供の心のケア」を通して被災地支援をしたいと考えているということを聞いて、目から鱗が落ちました。私自身は子供たちに対して何もしていないくせに、何か子供たちに寄り添えたような気持ちになって、心が優しくなったのを覚えています。

 私は、技術者としての「寄り添い支援」というものを、

  • 住民主体で考え進めることを支援し、一方的な技術提供や提案、無理な助言・指導をしない。
  • 住民が復興案を考える場合に出る様々な疑問に、科学的根拠を示し、情報の共有性をもって、リアルタイムに応える。
  • 持続的な寄り添い支援により、誇り、勇気、感動等の心理的高揚感とともに考える力を養えるようにする。

と定義し、当時対応していましたが、彼女たちのまなざしを見た時に、私たちの支援が、「寄り添い支援」と言いながら、かなり一方的な技術者・研究者サイドのものであると認識しました。「誇り、勇気、感動等の心理的高揚感とともに考える」なんて言葉は簡単に使ってはいけないものだと思いました。

 じゃあどうすれば良かったのかと言われれば、難しい問題となりますし、支援の一部しか担えない特定の技術者が、すべての住民の様々な形の苦しみに寄り添えるのかというとそれもできないことは分かっています。

 住民参加を基本とすることで、行政の突っ走った計画にならないように支援できたとは思いますが、もし本当に、「寄り添い支援」だと言いたいのであれば、技術だけの支援に留まらず、心のケアに繋がるまでの支援でなければならないし、未来に向かう子供たちとも関わるべきだったのだろうと今になって思います。そのためにも、住民参加の地域復興の場においては、もっと様々な分野の専門家が小さな支援の輪をつくり、総合的に支援するための体制づくりが必要であると思います。

※アイキャッチの写真は本文とは関係ありません。穏やかな水面をいつまでも眺め生活したいと祈るばかりだ。

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