聖地巡礼

 先週、とうとう念願の『聖地巡礼』をやり遂げました。聖地巡礼って言っても、エルサレムへ行った訳でも、四国八十八か所のお遍路さんをしてきた訳でもありません。聖地巡礼というのは、昔は宗教的または霊的な意味のある場所へ行くことでしたが、今では、アニメやドラマ、映画の舞台となった土地、ある有名なシーンの見える場所を訪れることが主となっているようです。

 そして、今回、私の初めての巡礼地となったのは、古いドラマ「王様のレストラン」の舞台であります。私は、子供の頃からテレビっ子でして、テレビに映るものなら朝から晩まで見ていました。ニュース、バラエティ、音楽、ドキュメント、ドラマ、アニメと単発物から連続物までありとあらゆるジャンルを見ていました。母親にはよく、「勉強もせんと、テレビばっかり見ていると、アホになるよ」と言われ、スイッチを消されましたが、またいつの間にかテレビの前に座っていて、チャンネルをカチャカチャと廻していました。ドリフターズの「八時だよ、全員集合!」も、森田健作のドラマ「俺は男だ!」も欠かさず見ましたし、「ザ・ガードマン」なんか、役者の名前も全部覚えていました。週末のプロレスとローラーゲームは月曜朝の集団登校の話題で、一通り友達にしゃべらないと学校の門をくぐれないのではと思う程でした。

 「三つ子の魂百まで」ではありませんが、このテレビ好きという性格というか習性は、大人になっても残り、大学時代も社会人になってからもずっと続きました。未だに、小学生について行けるぐらいアニメも各種見ていますし、各テレビ局の一押しドラマは録画して全話視聴し、評論家になれるぐらい網羅しています。家内は塾の先生をしていますが、アニメは子供達との距離を縮めるのに最適なようで、一緒に見ています。

 最近は歳のせいか、物語が薄っぺらかったり、展開が早すぎたり、突拍子もなかったりを感じ、なんだかついて行けないものも多く、途中で寝てしまったりしがちですが、それでもなんとか理解しようと、分かりにくいものは二度、三度見直しています。若者のテレビ離れが進んでいると聞きますが、私は、歳とって益々「テレビ馬鹿」になっていくようです。

 更に最近は、WOWOWにプライムビデオにNETFLIXと、メディアもコンテンツも爆発的に増えてきて、一日中見ていても追いつけなくなってきて、さすがの私も全部見ることはできません。日本のドラマはなんとか追いついても、海外ドラマまではなかなか手が出ません。話題になったものやランキングのトップ10ぐらいはなんとか対応していますが、情報が偏らないために、新聞も数誌は読まないといけませんし、フェイクの多い雑誌や好き勝手のネット情報にも目を通しておかないといけないし、いよいよ満杯状態です。

 そんな中、先日ドラマ好きの友人と話をしている時に、昔好きだったドラマの話になって、「三谷幸喜さんの脚本で、松本幸四郎(今の白鴎)さんや山口智子さん主演の「王様のレストラン」の舞台って、東京の代官山にある『マダム・トキ』って言うフレンチレストランだよ」と言う話になりました。

 実際にはこのドラマは27年前に放映されたもので、私もうろ覚えだったので、「マダムヤン? マダムヨー? だったかな。いや、マダムヤンはラーメンか?」と店の名前はすっと出て来なかったですが、友人が調べてくれたら、お店はちゃんとやっているということでしたので、一度ランチに行こうじゃないかと言うことになったのです。

 こういう展開で、ドラマの聖地を訪れるのは初めてのことでしたが、27年前のドラマの舞台が変わらずに今もあるということ自体が感動であります。どうしても見たかったのは、ドラマでは「ペル・エキップ(La Belle Equipe:よき友)」となっていた入り口のアイアンアーチのサインプレートです。マホガニーの扉はビリジアンに変わっていましたが、アーチのデザインはそのままでした。もう、これを見ただけで、ドラマを見ていた当時のことが頭に浮かび、涙がちょちょ切れました。『聖地巡礼』ってこういうことかとようやく理解しました。

 ドラマやアニメの世界で描かれた現実をコンテンツとして体験したときに、感動したり、記憶に深く残っているものは、自分のアイデンティティを確立してきた重要な要素であると言うことみたいです。これは小説や漫画でもそうでしょう。主人公の生き様や求めている環境に共感したり、反発したりすることで、複雑な三項関係※1)のインタラクションの中で、社会性、思考、認知を形成し、自分というものや生活周辺環境が作られていくため、それを聖地巡礼によって再体験することは、自分自身の社会的位置を再確認でき、安心できるのだと思います。私のなりの解釈ですが、今回、ベル・エキップの門を見た瞬間に感覚的にそのことが理解できました。

 これは農村でも当てはまるはずです。とある農村の話ではだめで、「北の国から」の富良野の麓郷みたいに、特定の土地でのコンテンツだと、填まる人には填まるということになります。NHKの大河ドラマなどは一時だけ観光とタイアップすることがありますが、そういうことでもない。どうも、聖地となるためには、ストーリーがしっかりと地元に溶け込んでいること、印象的なシーンが特定の場所でしか描けないということみたいです。経済効果があるかないかは考えずに、地域が持つ魅力がストーリーとシンクロしていることが重要なのでないでしょうか。無理して聖地を創ることはありませんが、農村づくりではかなり意識しても良いことではないかと感じました。

 さて、マダム・トキのランチは、どれも凝ったお料理でしたが、なんといても、ギャルソンの料理の説明があまりにも流暢で、説明を聞いているだけであのドラマの世界に入って行けました。クロッシュを当時に開ける演出もまるで、そこに幸四郎さん演じる千石さんがいらっしゃるようでした。

※1) 「自己」と「他者」と「もの」の3者間の関係のことで、一般的には生後約9か月以後のヒトの発達過程における特徴を言うが、私は、「もの」に対する「自己」と「他者」の共感欲求はコミュニケーションの発達として思春期ぐらいまで続くものと考えている。

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